● 「新米弁護士のひとりごと」(3)
岡山弁護士会弁護士 宮本 敦
元日本裁判官ネットワークメンバー、現サポーター
 平成17年9月から、先輩弁護士の事務所を引き継いで自分の事務所を構えることになったが、その際女性事務員(事務員は1人である。)との雇用契約も当然のこととして引き継いだ。事務所には仕事柄色んな人が出入りするが、皆さんが一様に、「お宅の事務員はとても感じがいいですね。」という。私も、「いいでしょう。」と答えて、ひとしきりその話に花が咲くのであるが、とても嬉しいことである。

 この事務員は法学部の卒業生であるせいか、事件の内容にも興味を示し、私が法廷から帰ると、必ず「先生、今日はどうなりましたか。」と、その日の進行の内容を聞いてくる。事件記録もザッと読んでいるようで、かなり正確な対話が成立する。その日の経過や次回期日の予定を話すのは当然のこととして、この事件は何が争点であるのか、当方に有利な状況かどうかというような話もすることが多い。またしばしば、このような事件はどのような解決を目指すのがよいのだろうかという意見を聞くこともあるが、大変参考になる意見を述べてくれる。仕事もよくできるし、自分であれこれ考えて、片付けるべき仕事を自分で見つけてきて、指示を求めてくることも多く、秘書的な役割を果たしてくれていて、大変助かっている。

 事件は人生の生(なま)の教材であるといえる。この夫婦はなぜ破綻したのか。どうすればよかったのか。夫婦間のあり方で大切なことは何か。殆どの事件はとても多くの教訓を含んでおり、そういう目で事件を見、仕事をすれば、小説を読むよりも遙かに自分の人生にも役立つことになると言えそうに感じる。彼女と事件の議論から、人生論に発展することも多い。近く結婚予定であり、幸せを祈っているが、結婚しても仕事をしたいと言ってくれている。

 最近事務所の昼休みに工夫を加えたので、昼休みがとても有意義な時間となっている。2人とも手製の弁当持参なので、12時になるとTVの前の机で一緒に昼食を取るのである。強制したというわけではないのだが、格別苦にする様子もないので、NHKのニュースを約15分、その後「みのもんた」の「おもいっきりテレビ}を約15分見る。毎日健康談議をやっているので、健康オタクの私にとっては、とても有益な時間となっている。面白そうで役に立ちそうな番組に対応して、即座に録画する体制がとられている。そして私の心のアンテナが反応した場合には、番組の内容がパソコンで文章化され、「健康ノート」のファイルに綴じ込まれ、そして試みに実践されて、生活習慣に取り入れられることになる。そして約1年後に、私が体重の10キロ減量に成功したときに再開予定の、「(続)わが不老長寿法」の材料になる予定である。

 弁護士になってから3年余りが経過した。書きたいけれど、もう少し時間の経過が必要だと思われることが多く、事件の具体的な話はなかなか書きにくい。法曹の世界もいろいろと問題が多いと思っているし、こんな場合はどうしたものかと悩むことも多い。
 事件を通じては、実感として日本人には本当にお人好しが多いんだなと感じている。法的に無知でもあるのだが、被害が発生する前に、被害防止が可能な早めの時期に、気軽に弁護士に相談できるという状況にないということが大きな原因でもあるのだろう。病気については掛かり付けの医師がいると、何かと相談できて助かるように、気軽に相談できる掛かり付けの弁護士(ホームローヤー)が必要だということだろう。 

 こんな事件があった。疑うことなく人を信じて、騙されてひどい目に遭ったというものである。困っているから助けてくれと頼まれて、それほど親しい間柄でもないのに、殆ど全財産を投じて助けようとし、それでも足りなくて、多額の借金さえして貸してあげるのである。預金を崩し、退職金を貸して、そのうえ借金までしており、その額が2000ないし3000万円という巨額になっているという信じられないような事件である。多少内容は異なるが、同じように騙されて、同程度の被害を受けたという事件を2件担当した。途中でおかしいとは気づいているのだが、新たに頼まれたときに、そこで拒否すると、これまで貸した金銭が取り戻せなくなることを恐れて、深みにはまっているのである。相手方は法廷に出頭しないため、原告の言い分が認められるという欠席判決や、相手方が所在不明であるために訴状送達ができず、公示送達という方法で訴状を送達し、結局原告勝訴という結論になっても、その金銭回収は不可能ということになり、最後は詐欺罪で告訴するということになる。おかしいと思った時点で、それまでの貸金回収を諦めれば、それほどの深みにはまらずに済んだと思われる。また早めに弁護士に相談するのがよかったのだろう。またこのような事件の弁護士報酬はどうすればよいのか、悩んでしまう。

 こんな事件もあった。人を信じて予期せぬ結果になって悔んだというものである。父は既に死亡しており、その2人の子と後妻とで遺産分割は終了していた。その後後妻が死亡したが、後妻には子がなく、義理の子供との間には養子縁組がなされていなかった。したがって相続人は後妻の兄弟ということになる。後妻の遺産としては、不動産はないが、預貯金などで数億円という多額に上る。後妻は、病気で死亡する直前に、義理の長男に、「万一の場合には財産は全部あなたにあげる。」と言ったと長男は主張しているが、書面は作成されていなかった。当初、後妻の兄弟たちは相続権を主張するという態度は取らず、義理の子供らが遺産を取得して、姉を祀ってほしいとの態度であった。しかし後日、「姉の遺産としてどんなものがあるのか教えてほしい。」と述べた。そこで義理の長男は、弁護士からみるととてもお人好しと思えるが、「義理の子供2人と義母の兄弟とで、半分ずつにしませんか。」といって、現金化の手続きを簡便に済ますために、義母の通帳と印鑑の全てを渡してしまったところ、義母の兄弟が態度を変えて相続権を主張したため訴訟となり、義理の長男による「義母から贈与された」という主張は認められず、書面を作成していなかったため敗訴した。そして控訴も検討したが、原告代理人であった私は、控訴しても逆転は困難であることを伝えたことなどから、1審で確定したというものである。
 通帳などを渡す前に弁護士に相談しておれば、半分ずつにするにしろ、もっと少ない金銭で解決するにしろ、全く異なった展開をしたことは明らかであると思われる。またこのようにして通帳と印鑑を渡してしまうとどうなるかは、弁護士の目でみると、全く予想どおりの展開をしてしまったといってよい。「どうして、相手に渡す前に弁護士に相談しなかったんですか。」と聞いたところ、「まさかこんなことになるとは夢にも思わなかった」し、「気軽に相談できる弁護士がいなかった」ということであった。
 それにしても信じられない思いである。どうしてそんなに人を信用できるのか。それとも人を容易に信用できなくなっている弁護士の方がおかしいのだろうか。

 「絶対に迷惑をかけないから。」とか、「ちょっと名前を借りるだけだから。」などと頼まれて連帯保証人となり、全財産を失うというような話は山ほどあるが、署名押印する前に、そんなことをして大丈夫かどうか、なぜ弁護士に相談しないのだろうか。
 このたびの司法改革で、法律実務家の数、特に弁護士の数は大幅に増えることになるので、社会の隅々まで法の光に照らされる社会となる日はそう遠くはないと期待してよいと思われる。以上に書いたような悲劇も、今後はなくなってほしいものである。

(平成18年4月1日)