● 初等少年院での変化(「君たちのために」第1回)
井垣康弘(サポーター,元裁判官,現弁護士)
わが国の安全神話が崩れ、少年犯罪も凶悪化・低年齢化し、恐ろしい世の中になったと皆が思うようになった。

 「子どもを生み育てることも怖い」という感覚が一般に広がれば、少子化を後押しし、やがては民族の滅亡に至るかもしれないとさえ思う。

 仕事柄、中学三年生を何十人も少年院に送った。何度捕まっても懲りない札付きの子どもたちだ。コンビニを自分個人の冷蔵庫だと思っていて、働かなくても一生食い物には困らない結構な身分だとうそぶく。街路は、ひったくり・かつあげ・おやじ狩りの獲物をあさる草原だと思い込んでいる。茶髪・ピアス・まゆ毛のそりこみで、おとなしそうな生徒から小銭をせびるのは簡単だと言う。ひったくったかばんの中から、一万円札が何枚も現れたときのうれさは言葉で表せないと得々と語る。おばあさんからひったくったかばんの中に250万円を見つけたときは、携帯電話を掛けまくり、地域のワルを全員集め、朝までドンチャン騒ぎをしたそうな。

 どのような中学生かと言うと、大体学力が小学校3年生レベルだで止まっている。漢字はほとんど分からず、新聞も本も読めない。九九も全部は言えず、分数は皆目分からない。

従って授業はひたすら苦痛である。高校にも行けそうになく焦る。しかし、何かトラぶると教師から「来なくてもよい」とのメッセージが発せられる。家庭でも、親からうるさく言われる。心が安らぐのは、地域の似たような仲間(先輩や同級生)と一緒にいるときだけ。その唯一の居場所で、ワルの学習をしっかりするのである。

 このような中学生を捕まえて、初等少年院で教育する。品川裕香著「心からのごめんなさいへ」(中央法規)は、宇治少年院を描いている。

「少年の日記の変化に驚いた。」と書かれている。入院当日のある14歳の少年の日記はこんなふうだったと言う。

「僕は、さいやくな人げん、だとおもいました。にどと、こんなことお、やらないように、どりょくします。口でゆうのわ、かんたんだけど、それお…」

 それが、一カ月半後にはこのように変わるのだ。

「2週間ぶりに訓練体育に出ました。とても体が鈍っていました。…(略)…入院した時より僕は漢字が書けるようになりました。もっといろんなことを覚えたいし、勉強もしたいです。そして早く新聞を読めるようになりたいです」

 しかし、少年院で教えられることが、なぜ義務教育の過程でできないのかと、同書は鋭く問い掛ける。

(「産経新聞」07年4月4日大阪版夕刊「君たちのために」より)
(平成19年10月1日)