● 映画「それでもボクはやってない」を見て
茄子直人(ファンクラブ会員、仮名)
 痴漢冤罪事件を題材にした周防正行監督の映画『それでもボクはやってない」を見た。   

 電車内で痴漢に間違われた青年が、拘留そして起訴され、被告人として刑事裁判を受ける過程が丹念に描かれている映画。

 刑事・民事裁判を問わず、法廷の柵内で当事者として、裁判の進行に立合った者にとっては、周防正行監督が言うように、まさにこの映画は裁判批判映画であると直感する。

 ともすると、タブー視される日本の裁判制度の実情を、映画という媒体を通じ、炭火焼きのようにじっくりあぶり出した特出すべき映画である。

 拘留、起訴、そして裁判へと状況が移り変わっていく中で翻弄される一個人の姿、被告人となった主人公の事実の主張も、ほとんど認められることなく、途中、冤罪事件に好意的と思われる裁判官の交代劇もあったが、最初に結論ありきのような感じで判決へと。

 まさにそれは、主人公にとっては、この裁判に関わるすべて者が事実の叫びを無視、さらに裁判そのものが、自分を犯罪人に仕立てあげる為だけのものに映ったに違いない。

 事実をしっかりと見定めていない者への憤りと 絶望感にさいなまれる主人公の日々。

 さらに、この映画は、「やっていない」という事実を証明することがいかに困難なことか、そして自分にとっては、事実のことでも事実主張を貫き通すことで、多大な不利益をこうむり、大きな代償を払ってしまうということを恐ろしいまでに実感させる映画でもある。

 裁判の判決は証拠によって決まると言われます。

 どんなに、本人が「やっていないと」と申し述べても、それを証明できるだけの証拠がないかぎり、その主張は受け入れられないのが、裁判というものなのだと思います。

 最近、美輪明宏という歌手が、オートバイと接触事故を起し、その事故の経緯を巡り、相手側との事実関係の主張に大きな食い違いがあると報道されていた。

 交通事故では、当事者双方の事実に関する相違は往々にして発生するが、車の傷あとの検証という物理的なもので、事実は証明されることが多い。

 もちろん、この映画でも主人公が被害者の女子高生の言う痴漢行為をしてないという証明の再現検証はしたが、裁判の事実認定までには至らなかった。

 この事実の証明、それを証拠として採用する事実認定は、裁判にとって不可欠なものでしょう。

 私たち庶民は、自分が実際に体験したことが事実ならば、裁判所も事実と認めてくれるだろうという判断がありますが、それは間違いです。

 万人が納得出来るような事実の証明がないかぎり、どんなにそれが事実であっても、裁判上は事実で無くなってしまうこともあります。

 まず、口頭での約束ごとは、事実であっても、それを裁判所に認めてもらうのは、至難の業という他はありません。

 この事実認定を巡る問題は、最近では山口県の母子殺害事件でも報道されているので、耳にした方もいらっしゃると思います。

「事実認定」に関する難しい話しは、その専門家のみなさまに御任せするとしても、私たち庶民は、 裁判そのものが刑事・民事裁判のいずれを問わず、この事実認定により、刑事でいえば刑が確定し、民事でいえば当事者のどちらかの主張に即した判決が出るのだということを認識しておかなければなりません。

 二年後には裁判員制度が実施されます。

 裁判官でさえ大変なこの事実の認定を、庶民である私達ひとり々が行わければならない立場に、いつなるか分かりません。

 映画「それでもボクはやってない」の主人公のように、間違った事実認定をされるということは、刑事、民事を問わず当事者にとって、人生が一変してしまうものだということを庶民である私たちも理解する必要があると思います。

 その意味では、裁判というものに真っ向から取り組んだ「それでもボクはやってない」は、是非見ておきたい特出すべき映画のひとつだと思います。

(平成19年10月)