● ないものねだり
山田眞也(サポーター・元裁判官・現弁護士・千葉県) 
 松本智津夫被告の死刑確定を報じる朝日新聞の一面には、「裁判が真実の解明にこだわらずに最終決着をしてしまったことに、言いようのない失望を覚える」とする五段抜きの論説が掲げられている。

 被告のみが知りうる未解明の「闇」の部分が残っているのに、裁判所は事件の真実をえぐり出すことより、被告の断罪を優先させたという指摘である。これとは全く異なる被害者遺族の声は、三十五面に掲載され、また十三面のオピニオン欄には佐木隆三氏の意見が掲げられているが、いずれもこれ以上の裁判には意味がないとしている。

 朝日新聞は、未だ真実が明らかにされていないという指摘を、一面に大きく掲げた以上、これが朝日新聞の見解を代表するものだと受けとられることを容認した上で、紙面作りをしているのだろう。

 むろん新聞には、正しいと信じる主張を積極的に訴える自由があるが、私には、この論説の筆者は、一貫して「ないものねだり」を繰り返してきたと感じられる。佐木隆三氏は、真実はすでに解明されたとし、私も同様に思うが、そもそも裁判所が解明しなければならない真実とは、何であろうか。

 被告が犯罪を実行したことには疑問の余地がないが、その動機は被告の口から語られない限り、明らかにされない場合もある。しかし裁判は、被告の有罪が確実に認められれば、その目的を達したというべきである。今後、裁判員制度が施行され、一般市民が裁判に加わることになれば、なおさら、そうならざるを得ない。(もっとも実際には実行行為者以外に首謀者がいるのに、その罪を問うことができないという場合もあり、そこまでの解明ができないために、裁判への信頼がゆらぐことも考えられるが、松本被告の場合は、まさか外国の機関と通謀して犯罪を企てたことを隠していると疑われるわけではあるまい)。

 松本被告が今後口を開いて、未だ知られていない重要な事実を語る可能性があるとも信じられない。

 なお裁判を続けるべきだとする論者は、今後どのような真実を解明する必要があるのか、どうすれば被告の口を開かせることができるのか、ある程度具体的な指摘をすべきであり、これまでに何度も繰り返してきた抽象的な主張をさらに重ねるのは、言論人としての見識が乏しいとの批判を免れないのではないか。また自社の主張を大きく扱うのは理解できるが、これと相容れない被害者側の声をも、同じ一面に、同じ大きさで紹介すべきではなかったか。

 そういう先例を作ると困ると言われそうだが、それができないなら自社の主張も、被害者側の声と同様、もっと地味に掲げればいい。

(平成18年9月)