● 司法、なお在り
山田眞也(サポーター・元裁判官・現弁護士・千葉県) 
 やっと、当たり前な判決が出た。

 「入学式、卒業式等の式典の意義、役割を考えるとき、これら式典において、国旗を掲げ、国歌を斉唱することは有意義なものということができる。しかし他方で、このような式典において、国旗、国歌に対し、宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張に基づいて、国旗に向かって起立したくない教職員、国歌を斉唱したくない教職員、国歌のピアノ伴奏をしたくない教職員がいることもまた現実である。このような教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱等させることは、いわば少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である。国旗、国歌は、国民に対し強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の制度趣旨であり、学習指導要領の国旗・国歌条項の理念と考えられ、これら国旗・国歌法の制度趣旨等に照らすと、本件通達及びこれに基づく各校長の原告ら教職員に対する職務命令は違法である。」
 多数者の価値観に同調しない少数者の価値観をどこまで保護するかは、常に難問だ。
 国旗や国歌が、どんな国にも必要であることは、ほぼ誰もが認めるだろう。
 また、いま国旗を選ぶとしたら、大多数の国民が日の丸を選ぶことも、間違いあるまい。

 国歌については、私はもっと歌いやすく元気が出る歌を望むが、押し付けさえなければ、君が代にそれほどの抵抗は感じない。
 しかし、日の丸にせよ、君が代にせよ、これを受け入れることを公の場で表明せよ、従わなければ、ためにならんぞと強制されるのは、まっぴらである。
 判決は、「宗教上の信仰に準ずる世界観、主義、主張に基づいて」、国旗や国歌への同調を強いられたくない教職員が現実にいると述べているが、私はそれほど思い詰めた信条や価値観から、日の丸や君が代を、きっぱりと拒否する人は、むしろ稀だろうと思う。
 世界のどこにも、過去に何らかの傷を持たない国はない。
 アメリカなど、今も昔も国家の名において、世界中にどれほどの不幸をまき散らしているか。それを上回るほどの貢献もしているとは思うが。
 イギリスのユニオンジャックも、フランスの三色旗も、侵略、殺戮の旗印だった過去があるはずだ。
 だから自国の過去に痛みや恥を覚える部分があるからと言って、過去のすべてを否定したいとか、否定できるなどとは、ほとんど誰も思わないだろう。
 しかし、国旗・国歌への同調が、忠誠テストとして強要されるとなったら、それだけで、これを拒否する正当な理由があると私は思う。
 日の丸、君が代を内心でどう評価しているかは、この場合、問題ではない。そういう内心の領域に人事権を持つ管理者が踏み込むことが問題なのだ。
 内心の自由を無制限に容認すべきだとは、必ずしも思わない。
 人種差別やテロへの同調につながる思想に対しては、その蔓延を防ぐ方策も必要だろう。

 日の丸、君が代への評価については、これを強制的に開示させることに、いかなる正当性があるか。
 ないというのが裁判所の結論であり、私はそれを全面的に支持する。
 日の丸、君が代の支持者が、この判決に不満を持つとしたら、それは自らの主張の普遍性についての自信を欠くと言うべきだ。むしろ、日の丸、君が代に対して失礼である。
 少なくとも日の丸については、おそらく四分の三以上の国民が、国際競技で日本チームを応援する際に、勇んでこれを手にするだろう。日の丸への起立を管理者に強いられたくない職員でも、スポーツの応援でなら気にしない人の方が多いのではないか。
 それで何が不足かと思う。
 この判決が確定することを切望するが、この先は、また茨の道だろう。
 東京地裁がいい判決を出すと、たいてい高裁がこれを覆す。
 むろん高裁でも、いい判決が出ることもあるはずだが。
 この事件は、どの道、最高裁まで行くに違いない。最高裁の道理の感覚に期待を寄せるしかない。
 憲法の番人の伊達には抜かない伝家の宝刀が、錆びついた赤いわしになっていないことを祈るばかりだ。
 オウム真理教の犯罪が発覚して以来、日本社会の自由さは、次第に失われて行った。さらに無法国家に君臨する金正日の呪いが、日本の民主主義を窒息させかけている。
 石原都政下の都教委の暴走に、いま歯止めをかけなければ、次にくるものは奉安殿の再現になりかねない。「奉安殿」という言葉を知る人が多いとは思えないから、最後にWIKIPEDIAの記事を抜粋しておく。

 奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前戦中にかけて各地の学校で、天皇皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物のこと。御真影自体は大正〜昭和期にかけて下賜されたため、奉安殿の成立もその時期と推測される。
 四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に最敬礼し、教育勅語が奉読された。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。
 関東大震災や空襲、校舎火災の際に、御真影を守ろうとして殉職した校長の美談が、いくつか伝えられている。

(平成18年9月)