● 長沼事件平賀書簡−35年目の証言
守屋克彦(サポーター)
 この本は、日本評論社発行の本としては、最近にないヒット商品になったらしい。インターネット書店アマゾンの憲法関係の本の中でも、最近まで上位に顔を出していた。第2部に収録された座談会に参加した私や宮本康昭君は、「こんな座談会やっても今更売れるかな」などと編者の大出良知氏や出版社の串崎浩さんに軽口をたたいていたので、売れ行きの良さに、不明を責められているところである。もっとも、そのときの私たちには、第1部の構成が知らされていなかったので、見通しを誤っても仕方がなかったというのが私らの言い分である。

 この本の面目躍如というか、際だっているところは、編者の一人である水島朝穂氏が、福島さんに対する再三のインタビューと、福島さんの日記、さらには判決書などの公的な資料を主な材料として、平賀書簡事件と長沼判決を、一人の裁判官の身の上に生じた出来事として、淡々と、客観的に描き出すことに成功したことだと思う。

 平賀書簡事件は、福島さんも書いているように、私などそれに関与した人間にとっては、決して「快い思い出」ではない。福島さんの生き方が、「筋」としては正しいと理解していても、そのことの波及として、裁判所内外の不愉快な取り扱いを体験せざるを得なかった人々は少なくない。「あの事件がなかったら」とか、「もしこうしていれば」という「タラ・レバ」的な発想が、常に私たちの身の回りにあって、事件の客観的な評価を自らで妨げているような感じがしないわけではなかった。しかし、水島氏は、「タラ・レバ」に惑わされずに、戦中派の流れを引く一人の人間が日本国憲法の下で裁判官を目ざし、偶然に長沼事件の配点を受け、所長から裁判内容に対する干渉を受けたという経緯を、いろいろなエピソードを巧みに組み合わせながら、しかし、評価抜きに描き出した。そのことによって、長い付合いと思っていた私ですら、福島さんが、海軍兵学校出身であったことなどの新しい事実を知らされることになったのだが、それはともかくとして、水島分析は、事実を客観的に拾い続けたことによって、福島さんが、普通の裁判一筋の裁判官であり、それに働きかけようとした平賀書簡が裁判干渉であり、その後に起きた裁判官の青法協問題に関する最高裁の司法行政が、自民党の保守勢力に傾斜したいかにもヒステリックな動きであったことを、事実の経過として十分に読者に読み取らせることになったようと思う。結果として、福島さんの評価が高められることにもなった。

 北海道大学の山口二郎氏は、東京新聞の書評欄で、福島さんを「法の支配と司法の独立を淡々と実行した先人」と評し、「当たり前のことを、当たり前に判決した」「法の番人に徹した判断力に驚嘆する」と述べている。当事者の思惑とか、真相を曖昧にしかねない付随的なさまざまな出来ごとのスクリーンを取り除いて事件の本質をつかみ出すのがもし歴史の審判であるとすれば、まさしくそれに値するような評価であるといって差し支えないのではないか。

 今でもそうかもしれないが、当時の北海道は、次の任地が東京とか大阪などに保証され、将来を嘱望された若い裁判官にあふれていた。私の任地であった室蘭は、当時札幌管内でも忙しかったところで、町田顕氏など、その後高裁長官になったような俊秀が歴代赴任していた。当時の私には、その驥尾に付したような気負いがあって、自分の将来にもそれなりの希望を抱いていたものだから、福島さんから、平賀書簡を打ち明けられた時には、頭から水をかぶせられたような感じがした。所長からの裁判干渉を正面から取り上げることが、自分の裁判官としての未来にどんな影響が及ぶかという不安も浮かんできて、「ウヘー」という気になり、一瞬いろいろな思いが胸をよぎったが、やはりこの際は福島さんを支えるしかないと割り切って、福島さんの相談相手となることに決めた。「黙って胸に納めてしまうか」「執行停止決定後に公表するか」「本案判決後に公表するか」など、いろいろなことを考え・話して札幌の街を歩きながら、次第に裁判官会議招集という話に落ち着くことになった。このあたりは、本書の座談会でも軽く触れられているところである。

 二人で交わした話が、司法の歴史を作り出す原点となり、その後の成り行きの中で、私らの当初の予測を遙かに超えた強烈な反動を引き起こし、長い司法の冬の時代につながっていくことになった。だからこそ、折に触れ「タラ・レバ」的な感想にとらわれることにもなってしまう。

 しかし、いくたび「タラ・レバ」を繰り返してみても、私たちが間違ったのかもしれないという後悔につながることがないのは、やはり、福島さんや宮本君というこの時代の主人公が、いずれも魅力にあふれ、資質に優れた裁判官であったということと、いずれも、私たちから争いを仕かけた訳ではなく、むしろふりかかった火の粉を払わざるを得なかったということで、こちら側には「非」がないというこだわりを捨てることができないからである。

 山口氏に評されるように、「当時の若手裁判官も高齢化」した。座談会の写真を見て、私も含めて、皆老人の相貌になっているのをみて、驚愕した。

 その「高齢者」の立場から、今日の時代ならどうするだろうと、若い人々に聞いてみたい気もするが、それは、やはり、らちもない「タラ・レバ」の話になると言われそうなので、止めておくことにしよう。