● 意見交換の前半
 
弁護士A
 痴漢事件に取り組んでいる弁護士です。周防さんは,平成14年頃から,痴漢事件裁判に関心をもたれるようになり,取材のため,私どものやっていた弁護団会議や,月に1回の若手弁護士を中心とする冤罪事件の勉強会,その他の痴漢冤罪事件の集会などにも欠かさず熱心に参加されてきました。勉強会が終わった後,私どもはよく有楽町のガード下の一杯飲み屋で食事をしたり飲んだりして歓談していたものですが,周防さんは,お酒が一滴も飲めないにもかかわらず,いつも最後までその席につき合われ,熱心にメモをとっておられた姿が印象的でした。そういう取材を3年半ほど続けられた。もちろん,その間,痴漢事件の法廷傍聴にも熱心で200回以上傍聴された,そうした丹念な取材をベースに,ご自分の目と耳で確認した事柄だけを集めてこの映画を制作されたのです。映画のリアル性はそういう取材から生まれたといえます。

 先ほどの伊東裁判官の発言に関連して,コメントさせて頂きますと,この映画は,多くの事件を傍聴された中で,シナリオが出来ており,判決の論理に至るまで,首都圏の裁判所における有罪判決の典型的でパターン化された日常的な裁判実務を表現しているものであります。なんでこんな判決を書くのだろうと首を傾げる判決が多い。特に,裁判官の自然科学的知識が欠けるというか,中学生程度の物理,数学的思考ができていないように思われるケース。それからもう一つ,人間行動に対する理解力が欠落したというしかない判決もあります。

 それから,捜査官によって実に巧みに証拠が作られている,このことに対して裁判官の理解がない。証拠のねつ造ももちろあるが,裁判官の耳に入りやすいように巧みに証拠化されている。証拠開示の乏しいこと,弁護人の申請した証拠を簡単に却下してしまう,反証の機会が与えられない。こうしたことでは,弁護人としてどうしようもなくなる。

 痴漢冤罪は,争点が単純で,被告人が犯人かどうかという点だけがほとんど唯一の争点です。それだけに裁判官にとっても非常に怖い裁判です。私ども痴漢冤罪をやっている弁護士から言いますと,最高裁調査官などをやられたいわゆるエリートといわれる優秀な裁判官が,非常に稚拙な論理と科学的知識の欠落した判決を書いたりするのを見てきています。周防監督は,痴漢冤罪事件に日本の裁判の縮図,闇を見たという思いでこの映画を作られたのです。


裁判官B
 首都圏の裁判所で刑事裁判を担当していると,痴漢事件というのが非常に沢山あります。詳しいことは述べられませんが,階段で携帯電話を女性のスカートの下に入れて撮影しようとした事件がありました。写真は捕まる直前に消去されていましたので,目撃証言だけが決定的な証拠です。私は,この証言は,余りにも確信的に述べるものだから,かえって疑わしいのではとも考えましたが,色々考え悩んだ末,他の状況証拠も合わせてこれを信用できるとして有罪とした事例がありました。

 別の財産犯の事件で,被告人と被害者の言い分が真っ向から相反していたが,私は,被害者の証言の方が信用できるとして有罪にした事例がありました。この事件は控訴されて,逆転無罪となったのです。控訴審は,被害者の証言に問題があり疑わしいと見たようです。私は,この東京高裁の判決を私の裁判所の内部で皆さんに見て貰って感想を聞くと,皆さんは私の結論の方がいいというのです。今でも,私は,私の判決の方が正しいと思っています。

 失敗学の話もでました。いろいろ考え反省しなければならない点はありますが,多くの裁判官の感覚を見聞きしておりますと,先ほども出ましたように,裁判官は,無罪の確信がなければ無罪としないという感覚が相当強いのかなという風に感じています。

市民C
 映画見てまして,主人公が警察官らからひどい扱いを受けている場面ではかわいそうで涙が出ました。周りの男の人などにも,映画を見た感想を聞くと,怖くて電車に乗れない,いつ自分が犯人されてしまうか分からないというのですよね。そういう感想を随分聞くんです。司法は,罪のない人をどんどん陥れている,そういう面があるというのが一般の人の受け止めではないでしょうか。映画はそういうリアル感がありました。

周防監督
 最近,別々の知り会いから2件相談を受けました。映画の悪い影響かなと思うのですが,1件は,痴漢の疑いで今勾留されている人についてですが,弁護士さんを紹介して欲しいという,私は,とりあえず,当番弁護士をと言ったのですが,その件は,勾留されている人の奥さんも私の映画を見ておられて,自分の旦那がたとえ無実であっても,これから会社をやめて1年間闘うことなど到底できない,そこで,奥さんと当番弁護士が,「やってないということは信じている。だけど,とにかく「やった」と言って出てきてください」(笑)と旦那さんを説得したというのです。もう1件の相談の場合は,やはり痴漢の疑いで勾留された人なのですが,この方も映画を見ていた人でして,「勾留3日目にやったと言っちゃった,それで釈放されて出てきました。しかし,その後,起訴不起訴の連絡がない,この不安な時間をどう過ごせばいいんでしょう。被害者と示談した方がいいのでしょうか」というのです。これには,弁護士を紹介して相談に乗って貰うようにしました。

 このように,2件続けて,知人の知人が痴漢で捕まり,「あの映画を見ていたので,自白して出てきました」というのです。僕は,一体どういう映画を作ったのだろうかと思いました(爆笑)

 実は,やっていないのにやったと自白して出てきたという人が多いのではないかと思うのです。勾留請求を却下しない裁判官たち。「やっていない」と否認し続ければ,23日間勾留されちゃう。こんなこと,世界の他の国にあるだろうか。本当に世界中に知らせたい,こんなバカな国はあるだろうか。これは本当に拷問だと思います。逮捕以降,勾留の問題に関しては,裁判官のいい悪いというより,そういうシステム自体が憲法違法ではないかと思います。

弁護士(高見)
 当番弁護士に当たっていた時に,痴漢事件で接見に行った相手が「私はやっていない」と言えば,どうしようかと考えてしまいます。やってない人は釈放してあげなければならない,無罪をしてあげなければならないのですが,そういうことが必ずしも容易に可能な制度になっていない。否認のままでがんばっていたら,本当に釈放されない。最近はさすがに,痴漢の否認事件でも,起訴後は保釈されるようになってきましたが,2年くらい前まではそうではなかった。

 否認していると,罪証隠滅のおそれがあるという理由で,保釈が認められない。しかし,被害者とされている人に被告人が会いに行くことなど出来るはずがないじゃないですか。そんなバカなことをしたら,それだけで,やってない人でも,アウト(有罪だと決定的に疑われてしまう)ですよ。そんなことを裁判官はどうして分からないのかなと思います。やってないと言っている人が,被害者のところに行って,やってないと言ってくれなんてそんなバカなことは言いませんよ。それなのに,容易に被害者に圧力をかけるとか,検察官に言わすと「そういうことをすることが火を見るより明らかである」などとワンパターンの言葉になってしまう。私は,保釈判断で悪いのは裁判官だと思います。

 私も,最初は裁判官をやっていまして,事情があって辞めて弁護士になったのですが,弁護士になってはじめて「ああ,こんな風だったのか」と驚くことが沢山ありました。たとえば,供述調書について,いくらなんでも取調官は,被疑者が述べていないことを調書に書くことはない,被疑者は,その調書にサインをしているのだから,内容に納得してサインしたんだろう,裁判官の時にはそう思い込んでいました。でも,実際はそうじゃない。このことは弁護士になってみなければ分からないことなんですよね。私は,国選弁護人を5件まじめにやった弁護士でないと,刑事裁判官になれないという制度を作るべきだなと思っています。

 私の担当した事件の中に,一審が有罪だが高裁で逆転無罪を貰った事件が3件あります。そのうち1人の被告人が,高裁で無罪となったとき,一審裁判官に手紙を書いたのです。その中には,こんなことが書かれています。「貴方の責任でさらに8か月もかけて戦い続けることになりました。一生のうちの貴重な時間を奪われた者の気持ちを理解できますか。私は一生忘れません。うらみ続けます。4か月半の長い期間勾留を続け,保釈を認めなかったことについて,本当に勾留が必要だったと思いますか。罪証隠滅はどのようにでも解釈できるのでしょうか。長期勾留は,検察官にも責任はあると思いますが,貴方に一番の責任があったと思いませんか。拘置所に1日でいいので,過ごされると自分の決断の重みが理解できると思います。貴方はどのような責任をとられるのでしょうか。」

 私も,あの映画の試写会を何人もの弁護士と一緒に見ました。終わった後,みんなもう何もしゃべれなかったんですよ。くらーくなりました。これが実際,弁護士の無力さ。それがあの映画に良く出ていたと思います。

裁判官D
 弁護士任官をして,現在民事事件を担当しています。したがって,刑事事件に関わるのは,土日の勾留当番(当番制で勾留請求事件を担当すること)の時だけです。弁護士時代,日弁連の担当部会の一員でもあり,代用監獄(警察留置所)反対キャンペーンの一翼を担っていましたので,裁判官になれば,勾留の際には,代用監獄ではなく,本来あるべき拘置所に入れるるぞ,と思っていたのですが,ある時,拘置所の収容人数どのくらいか聞いてくれと検察庁に問い合わせると,120パーセントだと聞き,それじゃしょうがないなという気持ちになり,以後,問題を感じつつも,代用監獄に勾留するという扱いをするようになってしまいました。

 それでも,勾留請求に対しては,すでに相当数を却下しています。いずれも検察官から準抗告が出されたことはありません。土日の当番の日には,1件くらいは却下を出すくらいのつもりでやっています。勾留を認める場合にも,勾留理由の開示請求が出た場合には,どう答えられるかを念頭において勾留をするようにしています。現在の任地は来年春までですが,それまでには,勾留却下が二桁になれるように(笑)がんばってみたいと思っています。

 弁護士時代には色々感じ考えていましたが,いざ自分が裁判官となり,実際に勾留実務を担当してみると,実情からなかなか難しい点も多くて,悩みつつ仕事をしているというところです。

 
弁護士E
 元裁判官で,現在弁護士をしています。当番弁護士ということで,被疑者に面会によく行っています。多くの事件は,自分の罪を認めており,弁護士としてホッとすることがあるのですが,軽微な事件では,やっていないのに,やったと言っているのではないかと疑うような事件もあります。弁護士同士では結構そういう事件のことが話題に出ます。自白事件の中の1,2割には,そういう冤罪となりうる自白事件があるのではないかというのが,弁護士仲間の通説的な見解ではないかと思います。

 軽微な事件であっても,やっていない人がやったと自白することで有罪になってしまうと,場合によっては会社も首になるなど,人生の上で大変マイナスの事態になってしまう。そういう事件を弁護人として担当したとき,まずは,保釈請求をします。しかし,何度請求をしても,裁判所によって却下される。裁判官は,有罪だと決めかかっていて,罪証隠滅のおそれ,すなわち,保釈すると,被疑者は無罪とせんがためにあれこれの工作をする,そういうことは許さんという理由で却下する。しかし,保釈して貰えないと,無罪のための立証活動は当然に制約されてしまいます。裁判官は,そういうふうに被告人の手足を縛っておきながら,判決の有罪理由には,アリバイの証明がなかったなどと平気で書いてしまう。立証を制約しているのは裁判官自身なのに,そういう判決になっている。弁護士になって,日本の刑事裁判はこうだったのかと驚く場面が多くあるというのが実感です。

裁判官F
 中締めの話をします。私は,今,地方都市の総括裁判官をしていますが,皆さんの話を聞いていると,都会は痴漢が多くて大変だな(笑)という感じです。私も,勾留の当番とか,準抗告では刑事事件を担当しているのですが,痴漢事件はほとんどもないですね。

 私のところでは,温泉地で自転車を盗んだとか,無銭飲食したといったようなのどかな事件が多い。中には殺人とか放火といった重大事件もありますが。安原さんが「有罪慣れ」と言われましたが,令状についても,令状の「出し慣れ」という問題点もあります。色々反省すべき点はあると思います。

 私が,情報提供したいのは,今は,令状改革について何十年来のチャンスの時期であるという点です。例えば,東京地裁では,今,令状の却下率は2,3パーセントと結構高い数字となっています。かつて1970年には,5パーセントという令状却下率に示していたこともあったのですが,その後,段々低くなっていき,それこそ,有罪率と同じような,零点いくらというような低い率で経過してきたのですが,ここに至って,令状却下が増えてきたということです。これは,裁判員裁判を睨んで,公判前整理手続が導入されて,対等な立場で主張立証して貰わなければいけないという考えが高まってきて,罪証隠滅のおそれの判断も,元に戻して,つまり抽象的ではなく,立法当初のように具体的な罪証隠滅で考えようとする論文も出るようになってきた。保釈がまず広く認められるようになった。罪証隠滅のおそれを厳密に考えようとする動きは,保釈だけではなく,その他の令状,特に勾留に影響してきた。

 どなたかが,若い裁判官は令状判断が被疑者側に厳しすぎると言われましたが,そういう裁判官は時代に遅れているのです(笑)。私の裁判所では,議論していると、若い裁判官が,罪証隠滅のおそれを厳密に解釈しましょうよ,と言ってくる,それに対して,むしろ私の方が「それでも,実務ではなー」などと迷ったりしている。そんな実情にもあります。

 これまでの裁判所の令状実務は,個々の裁判官の判断というより,先輩達の綿々と書かれてきた論文などで理論化されてきた裁判所全体のシステムとして運用されてきたと思う。それが,今,制度が変わろうとしている時期で,令状の考え方も変えようという論文も出しやすくなっている。今,時代にあった令状実務に向けて動き出している,その点を注目し,報告しておきたいと思います。


(休憩)