広辞苑で考える裁判員制度 その2
安原 浩 (広島高裁岡山支部) 
 第3回 参加

 例の広辞苑によりますと,@なかまになること。行事・会合などに加わること。A法律上の関係に当事者以外の者が関与すること。とあります。Aの用法は「民事訴訟における参加手続」に関する法律専門用語の意味の解説ということですから,たとえば司法参加というような一般的な使い方の場合は@の意味になります。司法に国民が参加するということはどういうことでしょうか。実感としては司法のなかまにはなりたくない,という人が大多数と思います。でも裁判に納得できないということで,裁判所や裁判官を批判しているだけではなにも変わりません。裁判制度も国民の税金を使って運営されている国の一機関で,その基本構造は国民の代表者である議員が国会で審議して決定しています。もし納得できない裁判があり,それが個々の裁判官の問題では済まない制度の問題であるとすれば,改革の世論を起こさなければならないし,法律を変えなければならないことにもなります。しかしそうはいっても裁判制度ほど一般の人にわかりにくいものもありません。

 それはこれまで法律専門家集団に任せきりにしていたことが大きな原因です。前の「反映」というところでも触れましたが,法律というものは本来市民社会の紛争を合理的で納得できるルールで解決しようというシステムですから,一般の人がなかまになることこそ必要といえないでしょうか。

 それでも裁判には一生関わりたくないという人が多いとは思いますが,規制緩和の時代は自由の時代であるとともに,弱肉強食の無法な時代にもなりかねません。そうならないようにするためには裁判所が国民に納得のできる結論を早期に出すことがどうしても必要です。国民の司法参加の重要性についてもう一度考え直して欲しいと思います。


 第4回 認定

 いつもの広辞苑によりますと,@みとめてきめること。或る事実や資格の有無または或る事柄の当否などを判断して決定すること,とあります。

 刑事裁判で一番難しいといわれているのが,起訴された犯罪事実について被告人がやっていないと述べて,その事実認定をすることです。

 今回の裁判員制度では,20歳以上の中学卒業程度の学力を有する選挙民から一定数の候補者を抽選で選び,そして裁判所が作成した簡単なアンケートに答え,さらに弁護士,検察官が直接質問し,それぞれふさわしくないと思う人を候補者から除外する手続をして,最終的に必要な数の裁判員が確定することになりますが,いずれにしても困難な事実認定についてそのような素人にできるのか,という問題があります。たしかに裁判官は困難な事件を何件も担当するなかで,慎重に事実認定の手法を学んでいきますから,その意味では専門家といえます。しかし,本来,証人の証言が信用できるかどうかというような判断は,法律の専門分野ではなく,社会常識的な判断です。難事件を担当した経験者故の知恵ももちろんありますが,逆に経験者故に陥りやすい誤った先入観の危険もつきまとうわけです。事実認定については,多様な社会経験持つ人が議論し合うことが正確な事実な認定にたどり着く近道ともいえます。

 もしあなたが裁判員に選ばれた場合には,自分なりの経験に基づく意見を述べ,裁判官や他の裁判員の人の意見も大いに参考にして,最後は自分でもっとも納得のできる結論に投票すれば良い,と考えて,どうか自信を持って参加してほしいと思います。


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