● 裁判官人事評価在り方研究会報告に対する根源的な疑問 [PDF]
伊東 武是 (神戸地裁姫路支部) 
  関西に「ちゃらんぽらん」という漫才師がいる。相方が何か言うたびに「中途半端やなあー」と言って身体をのけぞるギャグが大受けで,人気を博している。「裁判官の人事評価の在り方に関する研究会報告書」(以下「研究会」「報告書」と略す。)を読んで,このギャグを思い浮かべてしまった。「中途半端やなあー」,ため息をつく思いである。

 「評価の本人への開示」とか「不服がある場合の手続」など,一定の改革とみるべき側面のあることは否定しない。しかし,人事制度の透明化,客観化という大きな目標からみて,その「改革」は余りにも微々たるものであり,かえって,改悪の声すら上がることが懸念されるのである。

 私のこの面からの批判は,研究会の発足当初から危ぶんでいた点である。「人事制度の透明化,客観化」という大目標を,「人事評価制度の透明化,客観化」にすり替え,矮小化しようとする傾向である。

1 審議会報告の曖昧さ


問題の根源には,司法制度改革審議会意見書の曖昧さがある。「審議会」は,その「中間報告」の段階では,

(ウ) 裁判官の人事制度の見直し(透明性,客観性の確保)

 裁判官の人事制度の見直し(透明性,客観性の確保)のための具体的方策については,裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から,次の点を含め,更に検討する。 

 裁判官の人事評価や報酬,補職,配置等について,透明性,客観性を確保するための方策(例えば,評価のための基準の明確化や手続の整備等)となっていた。ここでは,報酬,補職,配置等の人事決定の透明化,客観化(換言すれば,転勤,昇給,部総括指名等の人事決定そのものの透明化,客観化)が人事評価のそれと並ぶ改革目標として掲げられていたのである。

 ところが,最終意見書では,

「3 裁判官の人事制度の見直し(透明性,客観性の確保)

 現行制度においては,下級裁判所の裁判官の人事は,最高裁判所の行う司法行政事務の一環として,同裁判所の裁判官会議により決することとされているが,その前提となる人事評価については透明性・客観性において必ずしも十分ではないとの指摘もある。こうした現状を見直し,裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から,裁判官の独立(外部的独立及び内部的独立の双方を含む。)の保持にも十分配慮しつつ,裁判官の人事評価について,評価権者及び評価基準を明確化・透明化し,評価のための判断資料を充実・明確化し,評価内容の本人開示と本人に不服がある場合の適切な手続を設けるなど,可能な限り透明性・客観性を確保するための仕組みを整備すべきである。仕組みの整備に当たっては,次の諸点に留意すべきである。

 また,裁判官の報酬の進級制(昇給制)について,従来から指摘されているように,昇進の有無,遅速がその職権行使の独立性に影響を及ぼさないようにする必要があること,また,裁判官の職務の複雑,困難及び責任の度は,その職務の性質上判然と分類し難いものであることにかんがみ,現在の報酬の段階の簡素化を含め,その在り方について検討すべきである。」

 となり,同じ「見出し」ながら,人事決定自体の透明化,客観化の課題が抜け落ち,人事評価の改革に主な焦点が当てられた意見となってしまったのである。


2 問題の本質


 そもそも,裁判官の人事制度の見直しの課題は,両報告書にあるように,裁判官の独立性に対する国民の信頼感を高める観点から行われるべきものである。裁判官の人事において,特定の者が不当に処遇されるようなことが起こり,それが,裁判内容やその背景にある「ものの考え方」が原因であると疑われるようでは,裁判官の誰からも牽制されない自主的判断の基盤が揺らぎ,裁判官の独立への信頼は到底維持することができない。古い時代のことを持ち出すまでもなく,戦後の裁判所の成熟期に起こった「青法協裁判官」に対する処遇の問題は,この典型的な実例であった。1人に対する不合理な不利益処遇は,「他山の石」となって他の多くの裁判官の裁判姿勢までに影響を及ぼしかねないものとなる。人事制度の見直しを司法改革の課題にした背には,そうした面での批判を根絶したいとの思いがあったはずである。

 そうした不当な処遇が起こりえないためには,人事決定の透明性,客観性を確保する必要がある。人事決定には,@決定権者の問題,A方法の問題,B資料の問題がある。人事の透明性,客観性の課題は,少なくとも,AとBに貫かれなければ解決しない。たとえば,いくらBの資料が透明化,客観化されても,その資料だけに基づいて決定しているという保障がなければ(他の秘密の資料も用いているのではないかとの疑いなど),人事決定の公正さに対する信頼を保持することはできない。不公正な疑いのある資料を人事資料から排除するためには,Aの決定方法の透明性,客観性がが担保されなければ,到底保障され得ない。

3 報告書の基調

 今回の報告書は,「人事評価の在り方」をとりあえずの課題としているものの,裁判官の「人事決定の在り方」にまで踏み込み,従前からの制度を基本的に肯定しつつ,わずかな改革でお茶を濁している。たとえば,報告書の「第2 裁判官の人事評価の現状と関連する裁判官人事の概況」のうち「4 異動の実情」の項においては,これまでとかく差別的処遇が紛れ込みやすいものとして批判の多かった転勤制度を肯定し,その決定方法の公正さを述べ,これに対する改革の必要性など微塵も感じられないものである。また,同「5 昇給の実情」の項においても,その給与体系の小刻みすぎる点に触れるだけで,従前から批判のある判事3号以上の昇給に際しての決定方法そのものを改める姿勢は全く感じられない。

 こうした基調は,最高裁の元事務総局人事局長が座長となり,現人事局長が幹事となって事務局を構成する研究会の在り方からすると,当初から予想されたことであった。今回の報告が,せめて,人事評価のことだけに限局し,その他の人事決定の課題について,将来に改革の含みを持たせているのならまだしも,人事評価を人事制度全般の中で位置づけをした上,しかも,基本的な人事決定方法の枠組みそのものはほぼ全面的に現状を肯定しているのであって,その基調は,改革への将来の希望さえも奪い去りかねないものである。

4 資料の問題 ー 人事評価以外の事情

 報告書は,「第2 裁判官の人事評価の現状と関連する裁判官人事の概況」のうち「4 異動の実情」「D異動案の作成等」の項で,「異動案は,各裁判所でどのような経験等を持つ裁判官が何人必要かという補充の必要性,任地・担当事務についての各裁判官の希望,本人・家族の健康状態,家庭事情等を考慮し,適材適所・公平を旨として立案される。適材適所・公平といった面で,人事評価が影響することになるが,少なくとも所長等への任命以外の一般の異動に関する限り,実際には,上記の人評価以外の事情が影響する度合いが高い。」と述べ,さらに,「5 昇給の実情」「B 昇給の実情」の項で,「判事3号から上への昇給は,ポスト,評価,勤務状態等を考慮し,各高等裁判所の意見を聞いた上,最高裁判所裁判官会議において決定されている。」と述べる。

 このような記述からは,人事決定に当たっての資料には,「公式の人事評価」以外の要素の比重が相当多いといえるのみならず,「以外の要素」の無限定性,曖昧性からすると,その中に,「非公式な人事評価」すら紛れ込む危険性を感じる。たとえば,昇給の際の各「高等裁判所の意見」とは何であろうか。人事評価以外の別の評価を付け加えることにならないか。また,報告書は,「第4 我が国の裁判官の人事評価の在り方に関する検討」「4 評価の手続」「B評価情報の収集方法等」「イ 上級審裁判官からの情報を取り入れることの当否」の項で,「現在でも,多くの上訴事件の判決と記録を通して原審裁判官の仕事ぶりや力量について,顕著な事由がある場合に,そうした情報が高等裁判所の裁判長等から高等裁判所長官に伝えられ,それが高等裁判所長官の評価に反映されることがある」と述べ,高裁裁判長からの情報が「公式の人事評価」に取り入れられる場合を挙げている。しかしながら,以前,最高裁事務総局人事局が「司法制度改革審議会」に提出した書面には,「裁判官の人事の実際としては、毎年全裁判官から、裁判官第二カードによって、勤務地と担当事務について希望を出してもらい、所長や高裁長官の意見を聞いて毎年の異動計画を立てている。その際に、各裁判官の仕事ぶりや力量、人物、健康状態などについての情報がもたらされる(筆者注,これが「公式の人事評価」であろう)。しかし、裁判官の人事評価のための情報は、そのような形のものだけではなく、様々なルート、形で存在する(太字筆者)。例えば、最高裁判事や高裁の裁判長は、多くの上訴事件を担当する中で、下級審の裁判官の仕事ぶりや、力量について、判決と記録を通して見ている。こうした情報も網羅的に調査するわけではないが、折に触れて入ってくる。」(2000年5月31日付け「裁判官の人事評価の基準,評価の本人開示,不服申立制度などについて」2項)とあり,高裁裁判長からの情報は「公式な人事評価」以外の情報として,その受容を肯定していたのである。今回の報告案は,従来の「様々なルート、形で」集める方式を改め,公式な人事評価以外の人事情報をシャットアウトするというのであろうか。その点を曖昧にしたままでは,正規の人事評価以外の「非公式な人事評価」(裁判官世界で「2枚目」の人事評価があるとも噂されている。)が疑われ,その透明化,客観化の要請は,テの資料の面ですら,有名無実化するおそれがあるのである。

5 ドイツでの一つの議論


 少し古い文献であるが,ドイツにおいて,人事決定にあたって,資料の問題をどうみているかを考えさせられるものを読んだことがある。

 ドイツでは,広く知られているとおり,裁判官の昇格(第一審の裁判長や高裁の陪席裁判官への昇進)などの人事決定にあたっては,任命権者である司法省の決定に先立ち,裁判官の代表(選挙で選ばれるものが半数以上含む。)で構成される裁判官人事委員会に諮問されることとなっている。裁判官人事委員会は,司法省の原案(予定している候補者)に対して,少なくとも拒否権があるとされているのである。

 州上級行政裁判所判事ヨルグ・シュミットは,その裁判官人事委員会における検討(司法省から候補者のほかに,その人事に応募した複数の裁判官の勤務評定等の資料が送られてくる。)の際に,司法省が送付してきた勤務評定以外の資料を自分たちで独自に蒐集して,それをも参考にして議論していいかを論じるのである。彼は,「裁官人事委員会に(司法省の決定とは独立した)独自の権限を与えようとするのであれば,人事決定のための自分たちの資料を獲得する余地を承認しなければならない。それには,(委員の)自分の知識の利用と同僚からの情報の獲得が含まれる。」として,勤務評定以外に他から情報を得て,それを判断資料とすることを是認する。その上で,次のように論じる。「噂に基づいて人事がなされることは誰も願っていない。これは不合理なことであり、法的にも支持できない。しかしながら、状況によっては、書面上の勤務評定からはずれた情報が、裁判官人事委員会に詳しい解明を迫るきっかけとなり得、又はきっかけとしなければならない場合がある。その場合は、必要によって、その勤務評定をした人やそれと違う意見を言う人の聴聞がなされ得る。最後は、情況によって、当該候補者にも、弁明の機会が与えられなければならない。」(ドイツ裁判官時報DRiZ・1981年3月81頁「人事決定と勤務評定の際における裁判官の身分的独立の保障」,なお木佐茂男「人間の尊厳と司法権」134頁注143参照)

 この議論をみる限りでは,ドイツでも,人事決定にあたって,勤務評定以外のものを資料とすること自体には必ずしも否定的ではないようである。しかし,そこでの議論は大変率直であり,他の資料を利用する場合の問題性に触れ,本人に不利益な情報である場合の弁明の機会を与える必要性などを論じているのである。注目すべきは,裁判官人事委員会という,その存在自体ですでに人事の客観性ないし透明性を相当に担保する裁判官代表機関においてすら,資料の範囲の問題が論じられているのである。

 わが国の人事決定の資料の問題は,公式の人事評価に限ってその透明性,客観性がようやく議論されようとしているものの,資料の範囲が余りにも漠然としており,無定さに対する不安が拭い切れないのである。果たして,これで,人事に対する国民の信頼は確保できるのであろうか。

6 人事決定の方法の問題

 人事制度の透明化,客観性には,もう一つの重要な柱として,人事決定の方法の問題がある。人事のための資料がいかに透明化,客観化できたとしても,その決定機関が,そうした公正な資料を中心に,公正に判断している保障がなければ意味がない。たとえば,いかに公正な人事評価ができても,それとはお構いなく,あるいは,別の秘密ルートの「情報」をも資料として,人事決定がなされては,到底人事の公正は実現しない。

 現在のわが国の裁判官人事は,最高裁事務総局人事局において,異動,昇給,部総括指名等重要な人事原案を作成し,最高裁裁判官会議において,これを決する仕組みになっている。しかし,3000人を越える膨大な裁判官を対象とした人事に最高裁裁判官会議が実質的吟味を加える余裕のないことは,裁判官世界では常識である。事務総局原案がほぼそのまま素通りしているのが実情であろう。

 その事務総局人事局において原案を作成するに当たっては,相当な裁量が働いていることは,前記した人事評価の比重の実態に関する報告書の記述からして明らかである。この広い裁量権に何らかのチェック機能を発動させなければ,人事制度の透明化,客観化は到底おぼつかないものである。

 今回の報告書は,この点に関して,現状をそのまま肯定するだけで,そこに批判の余地のあることすら採り上げようとしていない。「事務総局人事局の決定に公正さを疑う余地などあり得ない」という前提が歴然としているのである。研究会を巡る委員等の顔ぶれから見て当然といえば当然である。公正さとは,決して主観的なものではないはずである。最高裁事務総局人事局が,彼らなりの司法政策と人事政策を持ち,それに沿うよう懸命に「公正な」人事に努力していることを認めるとしよう。しかし,それでも,最高裁の奥深い一室で密かに作成される人事原案の「公正さ」に客観性はなく,裁判官を心服させる信頼のための情況的保障がないのである。

  ドイツや,フランスの裁判官人事の決定の方法を参考にすべきである。ドイツでは,先に触れた裁判官人事委員会が各州に設置され,裁判官人事に関する任命権者である州司法省の原案を実質的に吟味しているのである。その吟味を可能かつ容易にしているのが,応募制の採用である。つまり,1つのポストが空席となった場合,そのポストを希望する裁判官を広く募集し,その応募者の中から適任者を選ぶシステムを採用している。これにより適任者を比較検討することが容易となり,勤務評定の資料を中心とした適材適所の人選を可能にしているのである。裁判官人事委員会は,選挙より選出された者を含めて裁判官の代表で構成されているので,一種の民主主義理念が根底にあり,現場裁判官からの不満は出にくい仕組みとなっている。

 フランスにおいても,応募制が採られ,司法省の人事原案に対して,裁判官の選挙による代表者を含む司法官職最高評議会が実質的な吟味権限を握っているのである。

7 おわりに

 今回の報告書の個々の内容については,また,様々な批判が可能である。私も,評価者を長官・所長としている点,外部評価を取り入れようとしていない点などで,批判意見を持っている。

 特に,長官・所長を評価者としている点は,わが国の裁判官人事を貫く前記のような「広範な裁量制」の下では,裁判官を人事により支配する上位権者の強い権限を一層補強する「鬼に金棒」となり,いわゆる官僚体勢を盤石なものにしてしまう懸念を抱く。

 そうした官僚態勢を基本的に維持したままでの人事評価の本人開示は,裁判官をこれまで以上に萎縮させてしまうとの批判は,当たっていないとは到底いえないのである。