● 裁判員の判決は、私たちの住む社会に対するメッセージ
匿名希望(ファンクラブ)
 日本裁判官ネットワークブロク上で、東京大学の五月祭では川人博先生のゼミ有志による『裁判員裁判で日本の刑事裁判は変わるか(正式名:日本の裁判制度のこれから)』という企画があり、裁判官ネットワークのメンバー、サポーターの方々が参加されるというお知らせがありました。そこで私も5月29日、時折冷たい雨がぱらつく東京大学五月祭に行ってきました。
 学生による模擬店の売り子の声や、安田講堂前のステージでのバンド演奏など賑やかな声が聞こえてくる中、裁判員制度のこれからについて講演、パネルディスカッションが非常に真剣な雰囲気で進められました。どれもが白熱し、すべての題目について時間がオーバーするという事態(笑)。企画した学生、また演者の気合が聴衆にダイレクトに伝わりました。

 まずはネットワークのサポーターである安原浩先生の『ある裁判員裁判の風景』と題した自ら体験された裁判員裁判をもとに、これまでの刑事裁判と裁判員裁判はどう違うのかわかりやすく語られました。次に中村元弥先生の『データ・アンケートから見る裁判員制度』。中村先生の相変わらずの名調子で、数字から読み解く裁判員制度が解説されました。

 その後、3人の裁判員を実際に経験された方々の経験談が続き、休憩をはさんでその3人の方々を中心としたパネルディスカッションが行われました。渋谷友光さんのご自身の体験と被告人を重ねた感動的なお話、小島秀夫さんの倫理観、人としての品格に踏み込んだお話、匿名ではありましたが女性の裁判所、裁判員のそれぞれの細やかな気遣いを感じさせるお話、この裁判員経験者3人の方々のお話は会場全体を惹きこむ非常に素晴らしいものでした。3人のお話は私の拙い文章で表現するのは難しいのですが、裁判員に選ばれた方が真剣に事件と向き合い、悩み、自分の想いを託すように判決に至った過程が伝わってきました。

 私は今まで自分が裁判員に選ばれるには絶対にいやだと思っていました。人を裁くことは非常に気が重いものだからです。裁判員を経験された方は繰り返し「被害者の気持ちを汲み取る一方で被告人の更生を心から望んでいる」と話されていました。それを聞くうちに、事件は自分が住む地域で起った事件であり、被害者は(多くは)同じ地域に住む人たちであり、被告人も刑を終えると私たちの社会に戻ってくる、被害者も被告人も私たちは受け入れていく、これからも一緒に生きていく社会をつくらなくてはいけないのだと思いました。裁判員に選ばれても、選ばれなくても、事件を受け入れる社会をつくることは全ての人に責任があり、みんなが事件と向き合っていかなけれないけないと思いました。

 裁判員の方々が出した判決は被告人に対してだけでなく、私たちの住む社会に対するメッセージでもあります。裁判員制度はまだ1年。これから死刑求刑の事件や、有罪無罪から争う事件など多様な事件が出てくると思います。それによって過激な世論も出てくることもあるかもしれません。裁判員に選ばれた人が委縮することなく判決を出せるよう、私たちは「裁判員の方が導き出した判決を受け入れる」という、いわばまだ第一歩のことから根付かせていかなくてはいけない状況であるということも改めて感じた1日でした。

(平成22年7月)