● 裁判員制度,まずまず順調にスタートラインへ

伊東武是(神戸家庭裁判所)

 昨年11月末,全国で30万人弱の有権者に,今年1年間の裁判員候補者名簿に登録された,との通知が発送された。辞退事由等があれば,同封の調査票にその旨記載して12月15日までに返送されることになっていた。

 最高裁の昨年12月19日の発表によると,全国で約11万8500人の人の辞退希望(特定の月の辞退を含む)等が返送されてきたそうである。名簿登録の通知のあった人の4割である。その内訳は,今年の2月に集計結果が公表されることになっている。

 この数字は,裁判員制度のスタートライン時期のものとしては,決して悲観的なものではない。否,約6割の人が,ひとまず候補者となることを「受け止めた」と感じられることは,むしろ順調な船出体勢がとれたというべきではないだろうか。返送された辞退事由が特定の月に限られている人や,明らかに辞退事由に当たらないと思われる人等のいることをも考えると,裁判員制度の前途に光明を見る思いがする。

 もう一つの明るい数字。朝日新聞の国民意識調査によると,裁判員制度に対しては,結構厳しい意見が相当数あるものの,少なくとも「裁判員候補者となり,呼出を受けたら,裁判所に行くと思いますか」との質問に対しては,57パーセントの人(20歳代から60歳代の年齢層でみると66パーセントの人)が「行く」と答えている。調査に当たった渡部雅昭世論調査センター長は,「市民参加の伝統のある米国などの実情と比べても高い数字であり,制度を運用していく前提は整いつつあるといえよう。」と評している(1月9日同新聞朝刊)。

 たしかに,陪審裁判の長い伝統のある米国でも,陪審員に選ばれることを嫌がる空気は根強くあるという。どこの人間社会にあっても,義務を「喜んで受け入れる」というのは,到達するのに至難の道徳律であろう。
これがあまねく受け入れられる社会はユートピア以外にない。米国では,最初いやいやながら陪審員を引き受けた人が,その後では「すばらしい人生経験をした」と素直な喜びを表すことが多いそうである。

 昨年秋,高校の同窓会があった。関西で小さな企業の親父さんをやっていて,この不況下で苦労している友人に,「裁判員に選ばれたらどうする?」と尋ねてみた。彼は,あっさりと「やるよ,常識的な線でな。」と答えてくれた。うれしい。彼のような市民が一杯いるに違いない。

 竹崎最高裁長官は,裁判所職員に向けた「新年のことば」の中で,裁判員制度に触れ,「国民が何を疑問とし,どこに問題意識を持っているのかということを把握することが重要です。」「なお,不安,戸惑いを感じているのが実情であろうと思います。そうした国民の問題意識を的確に把握し,制度の運営,裁判手続の進め方について更に検討を深めていくことが必要です。」「いずれにしても,未だ経験したことのない大きな制度上の変革ですから,一朝一夕に理想的な姿が実現できるとは考えられません。運用に伴う問題点を常時把握し,常に必要な見直しを行っていくという,いわば育てるという意識を持って,国民の理解を得て行くことが重要です。」と述べている。そのとおりと思われる。

 前途に幾多の困難が予想される。職業裁判官の側でも,様々な難題を前に立ちすくむ場面があるかもしれない。しかし,何と言っても,民の叡智を裁判に反映させるという最高の理想に向かう新制度である。市民を信頼し,その協力の下に,自信を持って難局を切り開いてもらいたい。
(平成21年2月)