● 被害者傍聴には賛成できない
伊東武是(神戸家庭裁判所)
 少年審判に被害者・遺族の傍聴を認める法改正が準備され,来年の通常国会には上程されると報道されている。

 現在の少年審判は,非公開で行われ,少年とその保護者以外の傍聴は原則として認められていない。裁判官は,審判の場で,非行を犯した少年とじっくり向きあい,少年の心を開かせて反省の思いを深めさせ,そうすることで,更生への意欲をかき立て再犯を防止しようと努める。誰かに遠慮し,あるいは気兼ねをして,少年の心が閉じてしまっては,本心を引き出すことはできず,改善への道を見い出しにくい。審判を非公開にする理由は,そうした点にもある。

 大人への成長の途中で,道を踏み外し,非行に至った少年に対しては,大人と同様な処罰ではなく,その健全な育成を第一義として,少年に働きかける。その保護処分は,少年院送致であれ,保護観察であれ,少年が二度と非行に走らないために,何が必要か,そのための教育を施すという観点から決められる。その考えは,少年に対する審判の過程でも変わりない。審判自体が教育の場なのである。わが少年法はそのような法思想に基づいている。「この法律は,少年の健全な育成を期し,非行ある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行う・・・」(少年法1条)

 非行の被害者・遺族(以下「被害者」という)は,特に被害直後の段階では,少年に対して厳罰を求める。当然の感情である。審判傍聴が許されても,その気持ちはおそらく変わらない。被害者にとって,審判の場で吐露される少年の心情は,弁解がましく,苦々しく感じることが多いであろう(たしかに,見苦しい弁解もあるが,真実の声・叫びも混じっている)。また,裁判官が時に柔らかく語りかける口調は,被害者には少年に対する甘やかしと映るかもしれない。傍聴する被害者の心情を感じ取る少年は,その思いを十分に述べることが出来にくい。裁判官も,被害者の厳しい目を意識すると,少年を包み込む心が冷えてしまう。これでは,少年の心を開かせ,反省を深めさせ,更生への意欲をかきたたせる審判はできにくい。

 被害者の心は癒され,その回復がなされなければならない。被害者へは,社会,行政,医療などから物心両面の支援がなされるべきである。その痛ましい叫びは,可能な限り,聞き届けられるべきである。しかしながら,司法が叶えることのできる措置には,その公的な性格から,限界がある。

 裁判の場では,現在,被害者の意見陳述の制度がある。被害者が申出ることにより,少年に直接ないし間接に被害感情を訴えることができる(少年法9条の2)。私の経験でも,被害者の辛い思いを感じ取ることのできなかった少年に,審判の場で,被害者の母親から辛い思いを切々と訴えていただき,少年に直接これを聞かせたことがある。少年にとって,かなりショックだったようで,自らの行為をようやく真摯に振り返る契機となった。

 その少年に対して,芽生えた反省の心を軸に,更生のための適切な保護処分を決めなければならない。

 被害者の声がどんなに切実であろうとも,更生への意欲と繋がらない「厳罰」だけとなってはならない。少年の更生こそが,社会の要請に応え 真の意味での被害者の「声」に答えることになるものと信じる。
(平成19年12月)