●裁判員制度・評決公表のアイデア

竹内浩史(さいたま家裁川越支部・飯能出張所)

 裁判員制度が施行された。
 ただし、制度設計に対して特にマスメディアからの批判がますます強まっている論点の一つは、評議・評決が全面的に秘密とされていることへの不満である。これではせっかく裁判員が参加したことによる成果が検証不能ではないか、という疑問は至極もっともであろう。

 しかし、評議の秘密の解除はそれほど簡単な問題ではない。マスメディアも含めて、そもそも裁判の歴史の中で、評議が秘密とされてきた意義に対する洞察や理解が乏しいように思う。合議体として一つの判決をする以上、個々の意見の相違を昇華した一心同体の判断を示すことも重要なのであって、個々の構成員の意見などは明らかにされない方が一般的には好ましい。これを自由に公表してよいことにすれば、裁判の権威は少なからず失墜するだろうし、個々の裁判員が様々な圧迫や攻撃に晒されることを心配しなければならなくなるだろう。

 もっとも、日本の裁判制度の中でも、最高裁だけは唯一の例外として、裁判官が判決に個別の意見を明示している。しかし、これは国民審査の必要性との兼ね合いで要請されているものである。また、最高裁の裁判官の間でも激論が闘わされ、なおかつ意見が分かれるほどの難事件だと天下に明らかにするわけだから、むしろ最高裁判決の権威や納得性を高めている側面もある。しかし、下級審判決について、これと同列には論じられない。

 それに、評議の秘密を個々的に漏らすような人が、本当のことを正確かつ誠実に言うとは限らないのではないか。このことを(暗黙にしろ)前提としていない議論をする人たちは、あまりにも人が良すぎると思う。我が身可愛さからの我田引水で評議経過を喋りたくなるのも人情であって、他の人々は秘密を守ってくれるのならば、言った者勝ちのいい子になってしまう危険がある。禁を破って喋った人が本当のことを言っているかどうかは、それこそ検証不能であろう。

 さはさりながら、せっかく裁判員が参加した裁判の評決結果が全く不明のブラックボックスというのは、やはり疑問である。法改正を要することになるが、裁判員制度を発展させるためにも、評議の秘密を一部解除する合理的な方法の発明・工夫ができないものか、みんなで知恵を絞りたいものだ。

 以上の立場からのアイディアの必要条件は、個々の裁判員の意見は不明のままになるようにしておきながら、なおかつ総体としての裁判員の意見がどうであったのか、ある程度まで明示されるような正確かつ客観的な方法で、評議の秘密を一部解除することである。

 それでは、裁判員制度の成果を検証し発展させるために、評議の秘密をどのような方法で一部解除するのが妥当か。ささやかな私の腹案を順次示していく。

(腹案1)
評決の結果は、判決主文から判明する有罪・無罪に加えて、判決理由中に、評決の内訳を次の限度で記載することにする。
A 主文の結論は、裁判員6人のうちの多数意見(4〜6人の意見)であったか否か。
B 主文の結論は、裁判官3人のうちの多数意見(2〜3人の意見)であったか否か。

 なーんだと言われてしまいそうだが、「コロンブスの卵」の故事もある。
それに、簡単なアイディアのようだが、これでも色々と検討を要する点がある。有罪か無罪かの二者択一なら良いが、意見が3種類以上に分かれ得る量刑については、どう表示するのか。逆に、これ以上に踏み込んだ内訳の表示は不可能なのか、等々。

 まずは、先に指摘した必要条件である「個々の裁判員の意見は不明のままになっていること」及び「総体としての裁判員の意見がどうであったのかは正確かつ客観的に明示されていること」を十分に満たしているかという点から、引き続き厳密に検討した上で、私の成案としていきたい。
(平成21年6月)