● 言葉の重さ(「峠の落し文」から)
安原 浩(広島高裁岡山支部) 
 さらに前回に続いて、元裁判官樋口和博氏の自費出版随筆集「峠の落し文」からの1編を著者の了解を得て紹介します。

言葉の重さ

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 田舎から出てきた親戚の婦人が駅前からタクシーを拾った。行き先を告げても、道順を話しても一向に答えてくれない。とうとう恐ろしくなり、途中で車を降りて歩いてきた。彼女が車を降りるとき、その運転手さんは、ただ一言「一〇〇〇円!」と言ったとのことである。

 満員電車の中で若い女性に足を踏まれた。「何をぼやぼやしているんだ!」と言わんばかりの顔で睨みつけられた。「すみません」という言葉がなぜ出ないのだろうか、と考えながら、不愉快な気持で帰宅した。購い入れたばかりの靴のくぼみを撫でながら、言葉のない世界の情けなさをしみじみと感じた。と同時に、この頃の人達の心のゆがみが、この靴のくぼみに象徴されているようにも思われてならなかった。

 地方で医者を開業している友人が、生まれて初めて刑事裁判の法廷に証人として呼ぴ出された。当日は手術の予定があり、期日の変更を申し出ようと考えたが、何分にも、正当な理由なく出頭しないときは、勾引、罰金、拘留などと言つた制裁文言が書かれているだけに、初めて証人の呼び出し状を受け取つた彼としては、何とも薄気味悪く感じた。そこで奥さんや、看護婦さん達に頼んでことわりの電話をして貰おうとしたが、誰も引き受けてくれない。裁判所に対する拒否反応は婦人の方が一段と強いようなので、仕方なしに自ら受話器をとった。すると、まず交換台からやさしい応答があり、内線の係官に取りついでくれた。用件を申し出ると、応対に出た職員が、これまた親切に不参届けの手続きなどこまごまと教えてくれた。その予期に反した応対ぶりに、まず驚き、やがて感謝し、その電話の成り行きを見守っていた奥さんや看護婦さんに「裁判所でさえ、こんなに親切な応対をしてくれるのだから、うちの病院でも患者さんに対する言葉づかいにもっと気をつけるように」と言って、患者さんへの言葉づかいのいましめにしたということである。爾来、彼のところでは裁判所への認識を改め、親近感を持つようになったと述懐していた。

 窓口の応対に出た職員の、ちょっとした親切を言葉づかいが、とかく敬遠されがちな裁判所のイメージをすっかり変えてしまったことに大きな驚きを感じた。

 この頃の世相は到る所、とげとげしいものに満ち溢れている。とくに非情都市とも呼ばれる大都会において、その感が深い。それは、言葉のない世界であり、とげとげしさに溢れた世界であり、人の心や言葉の噛み合わない世界でもある。自然の荒廃により、われわれの肉体が蝕まれてゆくように、人の心の荒廃によって、われわれの人間性がかき消されて、いよいよ住みにくく、味気ない世の中になってゆくように思われてならない。

 ひとり息子を自動車事故で失った父親が、原告本人となり、自動車会社を相手に損害賠償請求事件を起こした。その法廷で、期日の続行を求めた相手方会社の代理人の申し入れを受けた裁判長が、「この事件は非常におもしろい事件だから、よく研究してみましょう」と言って、期日の続行を許可した。これを聞いた原告本人は、「私はひとり息子が自動車にひき殺されて訴訟を起こしているのに、この父親の悲しい気持も解らずに、おもしろいとは一体何事であるか」と食ってかかり、ついに裁判長の忌避申立や弾劾裁判所に訴追を要求した事件があったと聞いている。おもしろい事件とは、法律上いろいろの問題を含む事件という意味であることは裁判所の常識である。しかしながら、悲しい思いで、亡き息子の写真をふところに秘めて法廷に臨んでいる父親にしてみれば、この”おもしろい事件”という言葉が、どんなにか冷酷非情なものとして受けとめられたことであろう。

 私は長いこと裁判官生活をしている間に、数多くの死刑事件に関与した。生と死の極限に立たされて、裁きを受ける被告人の心情には、十分な注意を払いながら審理を進めてきたつもりである。ところが、過日、私の関与したT被告人の強盗殺人事件で、死刑判決を言い渡し、上訴審で死刑が確定した既済記録を取り寄せて調査する機会を得た。その記録を調べてゆくと、その最後のぺージに、その被告人の最高裁に対する判決訂正の申立書が添付してあった。その中に、「私は強盗殺人などの大罪を犯して死刑になりました。これはやむを得ないことです。私の事件について長い時問をかけて審理して頂いたことに感謝していますが、裁判所は果たして慎重のうえにも慎重を重ねてやってくれたかということには疑問を感ずることがあるのです。それは、第一審の裁判所で、求刑公判直前の公判廷で、裁判長が、『この事件を来年に持ち越すこともなんですから、どうでしょう、今年一杯に片付けるように御協力頂きましょうか』と言ったことがあります。被告人の私にしてみれば、まことにいやな感じを受けました。その言葉はいったい何を『片付けてしまいましょう』、ということなのか気になって仕方がなかったのです。それを聞いている私としては何ともやりきれない気持でした。そして、思っていた通り、死刑判決で片付けられてしまいました。裁判所が死刑の運用について慎重でなければならないと言つていることなんか、表面上のお飾りごとに過ぎないものと、そのときから考えるようになったのであります。こんなことを申し上げておりますが、どうぞ御安心下さい。私は落ち着いて心静かに裁判の執行を受けるつもりであります。ただ最後にあたり、裁判長のこの言葉が与えたやりきれない気持を申し上げたくて上申した次第であります」というのであつた。私はこの判決訂正申立書を読んで胸をしめつけられる思いがした。私には、当時、そのような発言をしたかどうか記憶がない。T被告人がそのように記憶しているとしたら、問違いないことであろう。もしそうだとしたら、何と不用意な心ない発言をしたものであろう。死刑判決を受けるかも知れない法廷に立たされた被告人の心の動きに深い洞察を加えることもなく、そのようなことを言ったのかと反省され、冷汗を覚えたものである。

 T被告人も、上訴審で熱心に弁護されたK弁護人に宛て「さようなら、ほんとうに長い問お世話になりました。私はここに来て、先生はじめ、皆さんのお陰で、はじめて、人間らしいものにたちもどることが出来ました。心から感謝しています。これが最後の便りになります。私の運命を告げるように、深夜の貨物列車の音が遠くに消えてゆきました。もう一度さようなら」との簡単な葉書を残して、この世を去って行った。

 人を裁く道は厳しい。それは裁判官に負わされた宿命の道なのかも知れない。一つの言葉にも、一つの動作にも、当事者、関係者の厳しい感応があり、まなざしがある。何気なく発した言葉づかいや態度が、多くの人達の心に、あるときは、ほっとした心の安らぎを感じさせたり、またあるときは計り知れない重圧を与えることもあるであろう。

 このT被告人の判決訂正の申立書は、「死」をもって「言葉の重さ」を訴えているものと、私は感じとったことである。

 (本稿は、さきに雑誌『法曹』その他に掲載された随想の一部であり、これをもとにしたシナリオ作家、海原卓氏の脚本「裁かれしもの」が日本テレビのゴールデンシナリオ賞最優秀賞受賞作品となり、昭和六十年四月二十五日夜、日本テレビで「裁かれしもの」〈主演小林桂樹〉として放映された)