● 「峠の落し文」について
安原 浩 (広島高裁岡山市支部) 
 このたび「峠の落し文」という元裁判官の随想集が再刊されました。
 刑事裁判官として令名の高かった樋口和博氏の法曹生活50余年の記念として昭和62年に刊行されたものが著者の自費出版(限定)という形で再び世に出たものです。古めかしい,しかも自慢話的なものを想像される方も多いと思われますが,実は現代人の心にも強く響くものを持つ優れた内容の随想集です。できるだけ多くの法曹,とりわけ裁判官におすすめしたいと思います。

 著者の了解を得て,その中の1編「M少年のこと」を紹介します。


M少年のこと

樋口和博
随筆「峠の落し文」から
 MさんはK市で飲食店を営み、この地域の保護司や民生委員をやり、その街の非行少年の相談相手になったり、恵まれない人達の面倒を見たりして、社会事業に情熱を傾けている有力者である。

 あれはもう、ずいぶん前のことであった。髪の毛が逆立ち、反抗心のかたまりのように見えるM少年が、家庭裁判所の審判廷に現われた。裁判官の前で両手をポケットに突っ込み、着席すると同時に「ふーん」と顔をそむけた。

 暴行傷害事件などで、家庭裁判所の調べを受けたことが数回あり、その後、保護観察処分になったが失敗し、非行少年の収容施設の補導委託先を二度も逃げては事件を起こし、今度も補導委託中に逃げ出して傷害事件をやり、家庭裁判所の審判に廻された身柄付きの少年である。

 調査官の取調べの段階で、今度こそ少年院送致決定になることは、本人も充分覚悟していると見える。本人の取調べを終えて決定の言い渡しをしようとすると、「ちょっとお願いがあるのですが」といかにも自信のなさそうな声で言い出した。「今度、少年院に送られることは覚悟していますが、その前に一度だけ母親に会わせて欲しいのです。今日の審判には母親を呼んでもらったというのに出て来ていません。度重なる犯罪で、今度こそもう私のことなどすっかりあきらめているだろうと思われますが、世界中でただ一人きりの母親にだけはまだ見捨てられたくないんです。私が立ち直って出て来るのを待っていてくれると約束してから少年院に行きたい。今夜一晩だけ母親と一緒に過ごして来たいのです。一晩だけでいいから母親のところに帰して貰えませんか」と言って先程のたけだけしさとは反対に、まことにしおらしい態度で懇願する。

 「こんなに多くの前歴があり、このような態度の悪い少年を帰宅させたら帰って来ませんよ」というのが、調査官の先生はじめ、関係者の強い反対意見であった。私もこの少年を一時帰宅させることの危険性を承知していたが、彼を立ち直らせるためには、この機会に、だまされてもいいから、一度本人の言い分をきいてやってみようと考えたあげく、一晩帰宅させることにした。帰宅を許してやると言われた彼は「先生、ほんとうに帰してくれるんですか、大丈夫ですか」と何遍も念を押す。「大丈夫ですか、とは一体何のことか」ときくと、「先生の言葉が信じられない。私が逃げて帰って来ないという心配をしないのですか」と言う。「大丈夫、私が君を信用して太鼓判を押して帰宅を許す以上安心して行って来なさい。そして明朝九時までに必ず判事室に出頭するように。そしてお母さんともじっくり話して来なさい」と言って帰してやった。思いきって帰宅を許したものの、彼の前歴からみて、果たして約束通り帰ってきてくれるかどうか、不安のために、私はその日、なかなか眠れない一夜を過ごした。

 翌朝早々に登庁してみると、驚いたことに、M君はもうすでに裁判所に来て、私を待ち受けていた。九時十分ほど前である。お袋さんから貰ってきたという大きな荷物を両腕に抱えていた。私の顔を見ると、彼はにっこり笑った。

 彼は約束を守ったのである。

 着席すると同時にM君は、こんなことを言い出した。「私は物心がついてから今日まで誰からも信用されたことがありませんでした。学校の先生からも、警察は勿論のこと、保護司の先生も、補導委託先の先生達も、ただ一人のお母さんさえも、一度も私のことを本当に信用してくれたことがなかったんです」と言い、ちょっと間をおいて、「私がグレだしたのも、あれは中学二年の頃、学校で盗難事件があり、当時から私が反抗心の強い生徒だったことから、まったく身に覚えもないのに疑いをかけられ、それからというもの、何か事件があると、あれはMの奴がやったんだと疑われるようになりました。私はそんなことから、ひとの言うことは絶対に聞くまいと決心したんです」と言ってちょっとしゅんとした。

 「今度、私は裁判官の先生に一日の帰宅をお願いしたときも、これだけ前歴があり、態度の悪い私の帰宅を許してくれることなど夢にも考えておりませんでした。どうせ私の言うことなど信用してくれないし、許可してくれないことは決まっているから、少年院に送られる途中で、私を連れてゆく裁判所の職員を突き飛ばして逃げてやるっもりでいたんです。ところがまったく意外にも先生は帰宅を許してくれました。私の言うことを信用してくれたのです。私は内心飛び上がるほどびっくりしました。そして、これは困ったことになったなあと考えました。先生から信用されたことで、どうしていいか解らなくなりました。はじめて私を信用してくれた先生をだますわけにはゆかないと考えはじめたわけです。私は帰宅して母に会いました。こわめしを作ってくれました。寒くなるからというので、手縫いの衣類も沢山持たせてくれました。そして母親に今度こそ立ち直ります、と約束してきたのです。本当にありがとうございました」と言って、涙を流している。あのふてくされた少年とは見違えるような、しおらしさと明るさに、私も胸があつくなった。中等少年院送致決定を受けて深々と頭を下げ、「ありがとうございました。元気で行って来ます」と言って明るい顔で出てゆくM少年の後姿を、私は晴々とした気持で見送った。

 この少年こそが冒頭に述べたK市における屈指の社会事業家として働いているMさんの若き日の姿であった。

 この頃の所謂つっぱり少年達の中には、最初から疑いの目で見られ、家庭に対し、学校に対し、世間に対し不信感でかたまったような少年も多い。私達は、あるときにはだまされるかも知れないことを恐れずに、これを信じてかかることがあってもよいのではないだろうか。

(昭和五十八年四月記)