● 弁護士任官どどいつ(11)
竹内浩史(東京地裁) 
「罪と罰とは どうしてあるの? それを言っちゃあ 終わらない」
 前回、模擬裁判で「そもそも刑罰は何のためかという議論を始める裁判員がいて難航した」と書き、反論を戴いた。実際の裁判員裁判が始まれば、一般市民にとって普段係わり合いのない「刑罰」って何?という疑問は自然と沸いてくるものではないか、刑罰の目的も分からずに評決で「懲役5年6月」とか「無期懲役」まして「死刑」と言えるか、と。その通りだが、模擬裁判の評議では、その議論を始めると時間切れになるし、必須とも思えない。死刑求刑ケースでは、その議論は避けられないだろうが。

 前回の「それにつけても お菓子はカール ならば蛇足と 分かるけど」は、自信作だったが、批判が相次いだ。まず、正しくは「おやつは」カールだとの指摘。そして、意味が分からないとの疑問。さらには、あれはCMの傑作であって蛇足ではないという意見。確かに、あれは主文なのだから蛇足ではあり得ず、理由も傑作だ。言いたかったのは、蛇足かどうかは極端な場合以外は明白ではないという事。井上薫判事は「たとえば、普通の貸金請求事件の判決の理由欄で、自衛隊は憲法違反であるという大判断をする」(「諸君!」1月号)というが、そんな裁判官はいない。

「日中冷え込む 上野の森で パンダも独りで 年を越す」
 謹賀新年。今年の「初詣」は上野動物園へ。湯島の官舎から目と鼻の先なので、妻と年間パスポートを買い、1月2日の開園イベントを訪れた。最近は昼間も寒いので、寒さに強い筈のパンダも、ひなたぼっこ好きになったそうだ。去年9月26日、メスのシュアンシュアンが実家のメキシコに帰ってしまい、オスのリンリンだけで寂しく年を越した。解説板によると「中国から新たなパンダが来る可能性はゼロに等しい」という。関係が良好ならば、そんな事はない筈なのだが。このままでは少子化どころか断絶だ。何とかならないものか

「うき世最後の 救いとなるは 個々の判事の 良い心」
 憲法76条3項の「すべて裁判官は、その良心に従ひ」の「良心」は「客観的」良心と解するのが多数説だ。死刑や離婚反対の意見を持つ裁判官がその判決を回避する事は許されないからと説明される。しかし、法に規定がある以上、それは同項後段の「この憲法及び法律にのみ拘束される」と意味が重なる。やはり「主観的」良心も含むと解する方が素直ではないか。あくまで「良心」であって、悪心や偏見ではないのだから問題なかろう。不幸な紛争の事後救済の期待に応えるにも、その方が相応しいように思う。

「判事するなら クールな頭 あつい心と きれいな手」
 弁護士任官の先輩からの年賀状に「まじめに働く者が報われる社会の実現をめざし、今年も尽力します」とあって、とても共感を覚えた。その方に教えていただいた裁判官に必要な資質は3つ。不正義や不平等を見てこれを正したいという法律家としての「あつい心」、それを大多数の人が納得しうる論理として語ることができる「冷たい頭」、そしてそれを語ることで人の心を打つような篤実な人柄すなわち「清い手」。年賀状にあるような信条も「あつい心」言い換えれば「裁判官の良心」に含まれてよいと思う。

「学校首席の 優等生が 就くは首席の 調査官」
 年末の一挙再放送のおかげで、日本テレビ系のドラマ「女王の教室」を最初から通して見ることができた。評価の分かれる作品だが、私は傑作だったと思う。私の担任教師にも、教室は社会の縮図だと看破した方がいた。日本の裁判官は、教室の中の優等生が任命されたようなものだろう。私の保育園時代の忘れられない思い出に、喧嘩をした女の子2人が連れだって私の前に来て「ねえ、どっちが悪いと思う?」と答を迫られて困ったというのがある。このような「優等生司法」はどんな問題を生むか。研究テーマである。

「ピストル持たずに 解決をする コロンボみたいな 調停官」
 年始の注目のテレビドラマは「古畑任三郎」ファイナルの3作だった。イチロー本人が犯人になるなど設定は現実離れしていたが、いずれもシリーズを締め括るに相応しい傑作で、面白かった。古畑任三郎警部補の原型は刑事コロンボ。どちらも武器は使わず、理詰めの説得だけで犯人を追い詰め、真相を明らかにする。この刑事コロンボを理想とする弁護士の非常勤裁判官(調停官)がいて、だから判決という一刀両断の武器を携える通常の裁判官には魅力を感じないという。そんな事はないと思うのだが、うまい反論が難しい。

「世間知らずと 思わせといて 桜吹雪で 驚かす」
 正月旅行で妻と鬼怒川温泉に泊まり、日光江戸村で北町奉行所の「遠山の金さん」の裁判劇を見た。金さんは江戸の街に遊びに出て、事件に遭遇する。そして、検察官になり、裁判官になり、果ては自ら目撃証人になる。そんな裁判は今はあり得ないが、現代の裁判官も社会の一員である以上、社会の問題を見ていない筈はない。東京高裁での私たちの判断が「やっぱり、見てくれている人は、見てるんですねぇ」と感嘆された(日本プロ野球選手会著「勝者も敗者もなく」252頁)という話を読んで、嬉しかった。

「官舎暮らしの 裁判官も 不満持ってた 修繕費」
 昨年12月16日、敷金返還請求事件について建物賃貸人に厳しい最高裁判決が出た。判決要旨は「賃借建物の通常の使用に伴い生ずる損耗について賃借人が原状回復義務を負う旨の特約が成立していないとされた事例」。大阪府住宅供給公社の特定優良賃貸住宅の契約書類に対する判断だから、影響が大きい。実は、トラブルを避けて生活する裁判官の家族も、最も遭遇する可能性が高い紛争だ。当ネットワークの原始メンバーの原田豊裁判官らが「あなたにもできる敷金トラブル解決法」(現代人文社)を出版した。研究したい。

「厳格説採る ポーシャの裁き 進退窮まる シャイロック」
 今年1月13日、貸金業者に極めて厳しい最高裁の新判例が出た。判決要旨は「債務者が利息制限法所定の制限を超える約定利息の支払を遅滞したときには当然に期限の利益を喪失する旨の特約の下での制限超過部分の支払の任意性の有無」。最高裁は、支払の任意性が無いから返還すべきとし、「みなし弁済」の要件を厳しく解する「厳格説」を貫いた。シェイクスピア「ウ゛ェニスの商人」の、証文通り債務者の肉1ポンドを切り取ってもいいが、僅かでも誤差を生じたり、1滴でも血を流してはならぬという名裁きを思い出す。

「女性判事も 増えては来たが 百人一首に 及ばない」
 中日・東京新聞のサンデー版には、毎週別刷りの「大図解」があり、教育現場でも好評である。1月15日のテーマは「戦後 女性の歩み」。広い視野で見やすくまとめた労作だった。その中で職業別に女性の進出割合(2004年)をまとめた円グラフがあった。検察官8.6%、弁護士12.1%に対し、裁判官は13.2%。比較的進んでいるとは言え、理想には遠い。小倉百人一首の女流歌人は21人だそうだから、それにも及ばない。若手女性裁判官が学校で授業し、いずれ女性裁判長が半分になると言ったのをニュースで見て、拍手した。

「人生いろいろ 事件もいろいろ だから係も 「い」と「ろ」なの」
 私が担当しているのは東京地裁民事第17部い係。裁判所の仕組みであまり知られていないのは、事件を担当する裁判官がどのように決まるか。毎年、裁判官会議で規則を定める重要な事項だが、弁護士も関心が薄い。東京地裁では、民事50か部のうち専門部(行政・労働・知的財産権など)に特殊事件(定義規定あり)が配点される以外は、通常部に受付順に配られる。大雑把にいうと約40件に1件が17部に配られ、部内で「い係」と「ろ係」に交互に配られるので、私は約80件に1件を単独で担当する。

「筋の通らぬ 判決理由 鉄筋不足の 設計図」
「鉄筋不足が 判決ならば 上へ行ったら すぐ破れ」
 昨年12月14日の下級裁判所裁判官指名諮問委員会の答申を受けた井上薫判事の緊急声明によれば、「姉歯事件をはるかに上回る国家的危機」なのだそうだ(朝日新聞の翌日朝刊)。そう言われて、理由不足の判決は鉄筋不足の設計図と同様と気付いた。けれども裁判の仕組みが優れているのは、そんな判決が出ても上級審で破棄され、被害が出ないようになっている点だろう。しかし、当事者や上級審の負担を考えると、一審判決が不十分でよい事にはならない。

「グッズが無いとか 言われるけれど 遅れを取るのは 弁護士会」
 日本の裁判所は外国に比べて開かれていないと批判される事が多い。アメリカなら売店で裁判所グッズを売っているとか。しかし日本でも司法協会の売店には特製ペン皿と絵葉書・テレカくらいのグッズはある。もっと遅れているのは弁護士会だろう。グッズの販売をついぞ見た事が無い。最近、長野地家裁の裁判員制度広報用の携帯ストラップを入手した。雷鳥が法服を着ていて、オスとメスがある。また昨秋の人権週間に法務省赤レンガ館を見学したら「人KENまもる君」携帯ストラップが貰えた。負けるな弁護士会。

「バリアフリーが 必要なのは 市民と判事と 弁護士と」
 1月19日の夜、千葉市で日本裁判官ネットワークの関東例会を初めて開催した。と言っても新年会のようなざっくばらんな懇親会だったが、予想を超える14名(裁判官4名・元裁判官のサポーター5名・ファンクラブ5名)が参加した。税理士を含む裁判経験者とも貴重な意見交換ができた。弁護士から裁判官になって痛感するのは、裁判官と弁護士・市民との距離が必要以上に遠い事である。弁護士任官者も、出身弁護士会から遠く赴任すると全く認知されない例が多い。事件を離れて腹を割った交流をする事も貴重だと思った。

「優勝力士は 外人なのに 国歌君が代 斉唱す」
 昨年12月17日、日本相撲協会の財団法人設立80周年を祝う式典で、小泉首相は「国技と言われる大相撲が朝青龍関、琴欧州関の活躍で賑わっているというのも何か複雑な思いが致しますが、これは国技から国際技になったと言えばいいのではないでしょうか」と祝辞を述べた。同感だ。現在は外国人力士は1部屋1人という縛りがあるが、国際技になった以上、思い切って撤廃した方がいいのでは。オリンピックと同様に優勝力士の出身国歌も流しては。それにしても初場所は久しぶりの日本人力士優勝にホッとしたが。
(平成18年2月)