● 渡辺魁さんの御子孫を捜しています。
浅見宣義(大分地裁) 
 「渡辺魁」さんとは,明治期の裁判官です。その一生は波瀾万丈で,私が大阪高裁勤務時代にエッセイに書き,同高裁のホームページに掲載してもらいました。渡辺魁さんは,過去演劇等にも取り上げられ,おもしろおかしく描かれることが多いのですが,私は,上記エッセイにあるように,父と子のあり方としてとても興味深く思っています。父の影が薄くなった現代において,考えさせられるのです。子孫の方がおられましたら,また,子孫の方をご存じの方がおられましたら,お話しをお聞かせ願いたいので,是非このホームページの「ご意見,ご感想」欄を使って,メールでお知らせ下さい。宜しくお願いします。下記に,上記エッセイを載せておきます。
(平成17年10月)
「脱獄囚から裁判官へ,そして・・・」

大阪高等裁判所判事職務代行  
浅 見 宣 義  
実話です!
 「脱獄囚から裁判官へ,そして・・・」という題名を見て,アメリカかどこか国の映画に出てくる架空のストーリーかと思われませんでしたか。実は,これは日本での実話なのです。山本石喜さんという元検事の弁護士が,「日本異色裁判故事誌」(第一法規,1981年)という本の中で紹介しています。「脱獄囚」の話なので,紹介するのは少々気が引けるのですが,とても興味深い話ですので,山本さんの本や当時の新聞記事,それに下記で引用する本などを基に紹介してみましょう。

脱獄囚から一念発起,裁判官へ
 主人公は,島原藩士の息子で,安政5年(1858年)生まれの「渡辺魁(かい)」という人です。もともと江戸・東京在住でしたが,明治10年(1877年)長崎に戻ってから素行が悪くなり,遊郭で遊びにふけり,印章を盗用行使して,三井銀行長崎支店より金員を詐取等し,最後は「雇人盗家財物罪」により,長崎始審裁判所で終身懲役の判決を受けました(22才)。法定刑が現代と異なるとはいえ,財産罪で終身懲役ですから,量刑の重い判決ですね。でも魁は,反省するどころか,監獄の中で度々犯則を犯し,三池懲役場で労役に服することになりました。三池懲役場というのは,地底での採炭をする懲役場で,とてもきつい懲役場だったようです。苦痛に耐えかねたのか,エネルギーが貯まりに貯まっていたのかわかりませんが,魁は,同じ受刑者と共謀し,ついに脱獄をしてしまったのです。今なら,脱獄というのはほとんど不可能だと思いますが,明治初期の制度構築期ですから,監視の制度が十分でなかったのかもしれませんね。統計によると,このころは,毎年1000人以上の脱獄囚がいたようです(朝倉喬司『明治・破獄協奏曲 白銀屋文七とその時代』毎日新聞社)。

 でも,ここまでなら,他にもある話なのです。魁が注目されるのは,ここからです。実は,彼の父親は,もともと長崎の裁判所職員だったのです。魁の犯罪事件後辞職したとの話もあり,鳥取の始審裁判所書記になったとの話もあり,正確なことはよくわかりませんが,とにかく脱獄した魁は,父と連絡を取り,今後のことを相談したようです。それで,2人で思案した結果は,戸籍を偽造し,「魁」が「辻村庫太(くらた)」という別人になりすますことでした。戸籍も制度構築期だったのでしょうか。これが成功して,彼は別人になりすまし,大阪府庁地方税係を経て,大分始審裁判所竹田支部治安裁判所雇となり,業績抜群と認められて大分始審裁判所書記にまで昇進しました。父のアドバイスも相当あったと推察します。前科秘匿の必要性からかもしれませんが,魁の勉学の姿勢は大変なもので,同庁の海野勲判事は,魁に度々法律書を貸して激励したそうです。身元がばれて逮捕されたのちの新聞(大阪朝日新聞明治24年3月1日)には,「罪身を隠すは寧ろ裁判官位なるに限るべし」という魁の決意のほどが記されています。そのかい(ダジャレではありません。あしからず。)もあってか,魁は,明治20年(29才)のときに,判事登用試験に見事合格したのです。前科を隠すためとはいえ,ここまで努力した魁は,大したものだと素直に感心します。外国にも,こんな例はないのではないでしょうか。合格後,判事試補に任官し,長崎始審裁判所福江治安裁判所に勤務します。長崎始審裁判所は,魁が終身懲役の判決を受けたところですから,赴任の際には,さすがに挨拶に行けなかったようです。病気を口実にして訪問を取りやめています。長崎の旅館で昼はおとなしくし,汽船の出港を待っていたようです。出港の時間が待ち遠しかったでしょうね。


順風満帆、しかし逮捕
 福江に赴任してからの仕事及び生活は順風満帆で(前科秘匿の関係ではひやひやすることもあったようです。),魁は,判事試補から判事となり,結婚をして,長男をもうけました。その地で民事36件,刑事3件の判決に係わったようです。今の裁判官の仕事量からすると羨ましかったりしますが・・・。そして,魁は,大分にいた父を呼び寄せ,弟も裁判所に勤務することになりました。しかし,身内を呼び寄せたりしたことには,おごりがあったのかもしれませんね。「辻村判事は脱獄囚の渡辺魁に似ている。」との噂がたったようです。この噂もあって,福江警察署員や検事が秘密裏に捜査に乗り出し(大阪朝日新聞明治24年3月1日には,噂を聞いた警察署長が,「あまりの珍事に呆れ果て」とその様子が書かれています。),最後は2人が同一人物であると確信するに至ったようです。魁が民事事件での出張中である明治24年2月18日,検事は魁の父と弟を逮捕しました。そして,翌19日魁の出張中の旅人宿に出向きました。通信手段の乏しい時代ですから,父や弟が逮捕されたとの連絡は,魁には入っていなかったようです。出向いた検事は,かつて魁を取り調べた検事でした。魁の部屋に入って着座した検事は次のように述べました。

「辻村君,貴殿も定めて拙者に見覚えがおありであろう,拙者は10年前には長崎警察署の警部時代に,三井物産会社における社員渡辺魁なる男の為替証書偽造金品着服横領事件を取り調べたことがある。貴殿もお忘れあるまい。」静かな声ではありますが,さぞかし迫力のあったものと思われます。

 これを聞いた魁は,やや居丈高になって,次のようにいきまいたようです。
「思いも寄らぬ無礼の一言。いやしくも予審判事の重任を帯びる余に向って失敬千万聞き捨てならぬ。もっとも,余の弟に渡辺魁なる者はありたるなれ共,判事辻村には覚えのないこと,人違いは迷惑千万」後半は,しどろもどろになって「語るに落ちた」という感もなきにしもあらずですが,「ついに来たか」との思いもあったと思います。

 検事は,逮捕やむなしと考え,同伴の巡査をして魁に手錠を掛けさせました。魁の胸には万感の思いが去来したのではないでしょうか。おそらく父や弟,特にここまで知恵を貸し,協力してくれた父の顔が思い浮かんだことでしょう。そばにいた豊田書記は茫然自失の態であったようです。一方検事は,ほっと胸をなで下ろすとともに,これからの捜査についての緊張感があったのではないでしょうか。まことに劇的な逮捕劇であったと評することができましょう。


魁の更生にかけた父
 私が,この実話を紹介しようと思いたったのには幾つかの理由があります。ストーリー全体が小説のようであること,逮捕劇のところは迫力があって活劇のようであること,登場人物のどの人をとってもその時々の心情を想像するのが興味深いこと,魁が人を殺(あや)めたり傷つけたりした人間ではないので少々安心して読めること(殺人罪等を犯していたりすると,いくら明治のこととはいえ私も紹介する気にはなれません。),事件のおちも法律家にとっては味わい深いものであること(魁は,長崎地方裁判所に,戸籍に関する官文書偽造行使被告事件で起訴され,軽懲役6年の判決を受け,服役しました。ところが,翌年大審院検事の非常上告を大審院が容れ,魁は無罪となりました。理由は,戸籍簿の記入は官吏が職務上なしたものであり,魁は,虚偽の陳述をしたにとどまり,偽造をしたわけではないというもので,現在の法律家にとっては常識になっている法理論です。なお,この事件もあってか,刑法の一部改正がなされ,現在に引き継がれている公正証書原本不実記載罪が立法化されました。)など色々です。ただ,当然として,この話は,一般には脱獄囚や逃走の点にスポットがあたることが多いのですが(最近では上記朝倉著の他,佐藤清彦「脱獄者たち」小学館文庫など。他に現代の事件を連想される方もおられるでしょう。),私は,魁の更生と父のアプローチというところに焦点をあててみるとまた違った見方ができ,これが紹介しようと思った大きな理由なのです。私は,現在,民事事件を担当していますが,かつて少年事件や青年の刑事事件を担当したときの経験からすると,魁ほどの更生事例はなかなかなかったように思われます(魁は犯罪を重ねていたころ,少年ではないのですが青年とはいえるでしょう。)。実は,魁の母は継母で,弟は異母兄弟なのです。このことが青年時代の魁の放蕩にどう影響したかはわかりませんが,父は魁のことを弱点も才能もよく見ていたのではないかと思います。そのため,魁が脱獄して父を頼ってきたときに,「困った」と思いながらも魁の更生のために「チャンスだ」と考えたのではないでしょうか。一般の人でも当然として,魁の父は裁判所職員であったのですから(しかもその前は警察官でした。),脱獄囚の逃走に手を貸すなど言語道断なのですが,父は,魁の性格と才能から,魁のエネルギーを放蕩や犯罪とは違う方向に向けようとしたのではないかと思うのです。この発想は,現在でも非行を犯した少年や犯罪を犯した青年の更正のために参考となるものです。そして,父の発想は一旦は成功しました。もちろん,魁と父の陰謀が発覚して逮捕にまで至ったのですから,「浅はかな」という評価は十分ありうると思うのですが,魁は逮捕後の服役中は謹慎に努めたようです。そして,放免後は,島原で印判彫刻業を始め,能書であることから,看板業,経師屋を営んで余生を送り,犯罪等に戻ることはなかったようです。これらの経緯からすると,「浅はか」とも断定できないものがあるのではないかと思うのです。方法が間違っていたとはいえ,少なくとも,過ちを犯した息子の才能を魁の父ほど開花させた例はそう多くはないのではないでしょうか。

ドラマにならないでしょうか
 「天網恢々疎にして漏らさず」のたとえどおり,魁の逮捕は必然だったのかもしれません。特に,赴任地が長崎関係であった時点で運命は決まっていたのでしょう。しかし裁判官としても幾つかの点で考えさせられる事件であることは確かのようです。以前
から,どなたかが小説か映画にしないかなと考えているのですがいかがでしょうか。