● ある離婚調停の話
下澤 悦夫 (岐阜家裁) 
 それは私が裁判官として担当したある夫婦の離婚調停事件のことである。アパートで暮らす30歳前半の夫婦で,二人の間に1歳半の男の子がいる。


 夫は民間企業に勤めるサラリーマン,妻は子どもが出来てから仕事をやめた。妻は家庭で育児に専念しているが,毎日毎日雑用に明け暮れる生活が嫌になっていた。その気持ちを夫にぶつけても,仕事に追われる夫はまっとうに受けとめてくれない。それが妻の不満であった。他方,妻がいつも朝寝坊をして夫の食事を作ってくれない,家事をちゃんとやらないというのが夫の不満であった。双方の不満がぶつかり合って口論となり,怒った妻が子どもを連れて実家に帰る。2,3日して夫は妻を迎えに行って詫びを入れ,戻ってきてくれと頼む。それで妻も気を取り直して夫のもとへ戻る。そのようなことが何回か繰り返されてきた。

 ある朝,例のごとく夫婦喧嘩が始まった。今度は口論だけに終わらず,部屋にある物の投げ合いに発展した。その後夫は出勤したが,留守中に妻は夫との離婚を決意し,子どもを連れて実家に帰った。帰宅してそれを知った夫は,いつものとおり実家へ妻を迎えに行った。ところが,離婚する意思を固めている妻は夫に会おうとはしなかった。実家の父母も妻の意向を汲んで夫を家に入れず,妻と会わせることを拒否した。夫はその後もたびたび妻の実家に足を運び,妻に戻ってくれるように頼んだが,妻とは会えず,子どもとも会わせてもらえなかった。

 3か月くらい過ぎたころ,妻は家裁に夫との離婚を求める調停を申し立てた。この調停でも妻は夫と同席することを拒否したので,我々調停委員会は夫と妻からそれぞれ別個に事情を聞いた。妻は夫がいかに無神経で思いやりのない男性であるかを力説した。夫婦としてやり直しをする意思は全くないという。他方,夫の方は,妻がどうして自分と離婚したいのかが解らないと言う。自分の悪い点があれば改めるので,妻に戻ってきて欲しいの一点張りで妻からの離婚の要求には応じようとしない。妻と会って直接話をすれば解ってもらえるはずだと主張するのであった。

 妻の離婚の決意は相当固く,夫婦関係の復元は不可能であるように思われた。しかし,夫の立場に立って見れば,ある日突然妻が実家に帰って別居状態になり,以後相手と会って話をする機会も与えられないまま離婚せよと言われても,たやすく納得できないというのもうなづけるところである。

 調停は2,3回の期日を重ねたものの,それぞれが離婚したい,離婚は嫌だの対立で膠着状態に陥り,調停不成立となることが予測された。もしそうなれば,妻は離婚訴訟に持ち込まなくてはならないだろう。

 そこで,最後に我々は妻に対して次のように勧めたのであった。夫のいない席で,妻が調停委員会に対し一方的に夫の悪い点を述べ立て,あとは調停委員会に任せておくだけで自動的に離婚できるものならば,こんなに都合のよいことはない。たとえ辛いことではあっても,妻が調停の場で直接夫に対し,もはやあなたとは夫婦関係をやり直す意思がないことをはっきり伝えるべきではないのか。その程度のことは,人生のある期間を共に生きてきた者と別れようというときに,夫なり妻なりが相手方に対して果たすべき最小限の務めではないかと妻に説いた。

 このとき,妻は我々の説得に応じた。そして,彼女は調停の席上で夫に対し,夫とは一緒に暮らして行けない理由と,今では夫に対する気持ちがすっかり冷めてしまったので共に夫婦としてやって行く意思がないことをはっきり述べた。それを聞いた夫は当初いくらか反論をしたが,最後にはもはやこれまでと観念し,妻との離婚を受け入れたのであった。調停の初期の段階において,妻が夫に向き合い,直接に離婚を訴えかけていたとすれば,もっと早く離婚が成立していたであろうと思われる。

 離婚調停はあくまでも夫婦双方がそれぞれ納得して合意することにより,初めて解決できるものである。当事者のそれぞれが相手方に対して自分の考えを訴えかけ,説得しようと努めることが必要であり,また訴えかけられた方も相手方の主張をよく聞いて理解することが大切である。調停当事者のこのような姿勢なり心構えは,夫婦間の離婚問題を早期かつ適切に解決するために大いに役立つものであることを実感している。

(平成17年3月)