● アムステルダムは「げい」の町

岡 文夫 

ピアノバイクを弾く芸人
 
ピアノバイクを弾く芸人
ゲイ・フェスティバルで踊るバレリーナの彼女?達
 
ゲイ・フェスティバルで踊るバレリーナの彼女?達

 去年の夏、オランダとドイツに行って来た。19年ぶりの海外旅行である。 オランダの司法制度は、日本に似ていながら、日本よりも進んでいると聞いて、その実状を視察しようというのが、旅行の主目的であった。ただ、同行者に全ての手配をお願いしたから、比較的気楽な旅行であった。

 オランダではアムステルダムに4泊した。有名な、と言っても今回の旅行まで私は知らなかったが、ゴッホの絵画の題材になった、はね橋の近くの安価なホテルに泊まった。

 到着の翌日から、裁判所とか弁護士事務所を訪問したが、複雑な法律用語を交えて、通訳を介してする会話は結構疲れるものである。4時頃には取材を終わりにして、アムステルダムの町を散策することにした。アムステルダムは、名のとおりダムで川をせき止めて作った町だけあって、至る所に運河が張り巡らされているが、同時に人が集まれる広場がいくつもあった。

 その広場では、大道芸人が様々な芸を見せて観客から小銭をもらっている風景に出会った。芸人らの間には、何かのしきたりでもあるようである。一通りの芸が終わり小銭を集めると、さっさと後かたづけをして、その場を立ち去ると、どこからともなく次の芸人が現れるのであるが、その時、場所取りで争うような雰囲気は全くないのである。

 大道芸人でもっと感心したのは、小さなグランドピアノとオートバイを合体させたような楽器(乗り物?)があったことだ。その芸人の特許的発明かと思ったが、その後、時々、ピアノの代わりに荷車をオートバイに合体させたような、同様の乗り物を何度も見たから、どうも、オランダでは市民権を得た乗り物というか楽器のようである。これも、大道芸人が闊歩している国ならではの現象であろう。

 オランダ人で日本人ならだれでも知っている人名と言えば、最近は拳闘家のアンディ・フグだが、女性と言えば、アンネ・フランクであろう。私は、アムネスティの会員になっているが、日本でアムネスティが設立されるきっかけは、アンネの家を訪れた日本の弁護士の猪俣氏が、ここでアムネスティのパンフレットを見つけ、その活動に感銘を受けたことにあるということを聞いていたので、ぜひ、アンネの家を見学したいと思っていた。そこで、土曜日の朝、同行者達と一緒にアンネの家へ向かった。

 私たちは開場の30分くらい前に到着したのだが、さすが世界的に有名なだけあって、すでに十メートル以上の列ができていた。開場時刻に近づくと100メートル以上の列ができてしまった。

 早く来てよかったね、などとおしゃべりしながら開場を待っていると、同行者の奥さんが、運河の対岸に建っているアパートの窓を眺めながら、部屋の中で男性が裸で何かしていると、不思議がりだした。見ると、下着姿の男性が部屋の中でウロウロしているではないか。そうすると、次は下着姿の女性が見えたのかな、と思うのはだれですか? 期待は外れるものである。その奥さんの観察により、同室に下着姿の男性がもう一人ウロウロしているのが判明した。やはり、女性の観察眼は鋭いものがあった。(アムステルダムの市民の方、皆で部屋を覗いてゴメンナサイ。)

 その話題のころ、開場となり、裸の男性の話は、それでお終いになった。 その後、私は一人でアムステルダムの繁華街で買い物をして、昼下がりにホテルへと向かった。すると、遠くから大音響の音楽が聞こえてきた。

 大道芸人の出す音量にしては大きすぎるな、と思いながらホテルに近づいていくと、ホテル近くの運河の縁や通りにおびただしい人が集まっているではないか。人垣の隙間から運河を覗くと、運河にも、小舟に乗った人達がどこからともなく続々集まって、船上で陽気そうにダンスを踊ったり、手を振ったりしている。遠くの運河の対岸では、少し広い甲板で白い衣装のバレリーナ達が踊っている。

 何の祭りなのだろうか、と不思議に思い、ホテルのカウンターで顔見知りになった受付の女性に訪ねると、毎年この日に行われるゲイ・フェスティバルだ、とのことである。これはめずらしい行事に出会ったと思い、さっそくカメラを手にして、外に出て運河の周りを見物して回った。

 先ほど見たバレリーナの近くまで行くと、彼女達は彼女達ではなく、いずれも毛むくじゃらの彼らであった。彼らは楽しそうに抱き合ったり、暑いため半裸になって踊ったりしている。周りの小舟にも、女装しているような彼らがあちこちで手を振ったりしている。沿道にも男性同士で親しそうに並んで歩いているカップルがいくつも見られた。そのころ、ハッと気づいた。アンネの家の前のアパートの下着姿の男性達は、この祭りの準備をしていたに違いない、と。

 ヨーロッパのゲイは、日本人の場合と異なり、外見が女性的な人とは限らないと聞いていたが、そのとおりであった。日本では、ゲイは単に興味本位で話題になるだけであって、その人たちの悩みや社会的地位を真剣に考えるような雰囲気は全くないのに対し、アムステルダムのゲイ達の何と開放的なことであろうか。いや、日頃、差別されているからこそ、祭りで必死に自己主張をして社会に訴えようとしているのかもしれない。そうであったとしても、少なくとも日本よりもゲイの社会的地位は遙かに高いものがあると感じた。

 オランダでは、2000年9月ころ、同性同士の婚姻を法的に認める法改正が行われた。同性同士でも結婚でき、扶養義務を負ったり、相続したりできるのである。日本では考えられないことであるが、同性愛の人達にとっては、大変な福音となるであろう。そのような法改正が行われる背景には、ゲイ達の長い運動があったに違いない。ゲイ・フェスティバルもその運動の一環であったと思われる。

 オランダは、第二次世界大戦後、アンネの家に象徴されるように、世界の平和と人権の擁護に積極的に活動を続けている。たとえばユニセフへの国民の寄付金額は世界でもトップを争うほどである。人口で比べると日本はオランダの10倍以上だが、その寄付金額では、私の記憶ではオランダと大差はない。また、最近の韓国の新聞社による調査では、各国の平和文化の水準度は、オランダはデンマークに次いで2位であった。日本は29位である。ゲイの社会的地位をどれだけ高くするかは、その国の人権意識の高さを示しているとも言える。

 今回の久しぶりの海外旅行は、オランダが、司法制度だけでなく、人権においても、日本が見習わなければならない多くのものを持っていることを認識した旅行であった。