● 父かとぞ思う母かとぞ思ふ
浅見宣義(神戸地方家庭裁判所伊丹支部)
 私の勤務する裁判所のある兵庫県伊丹市は,以前,酒蔵通り地区が,平成20年度都市景観大賞「美しいまちなみ賞」(美しいまちなみ優秀賞)受賞地区 となったことを紹介したことがあります(ブログ2008年06月14日欄)。その他にも,紹介したいことがいろいろあるのですが,その一つに,町中に建てられている歌碑のことがあります。この町には,古い歴史があり,伊丹に因んだ歌や,伊丹に関わりのある人の歌というのが結構あるのです。そのため,伊丹市文化財保存協会などにより,町中に数多くの歌碑が建てられています。味わいがあって,とても気に入っているのですが,その1つで,最近仕事柄とても気になるのがこの歌。

  山鳥のほろほろと鳴く声聞けば  父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ

 奈良時代の高名な行基菩薩の歌で,玉葉集という歌集に載っている有名な歌だそうです。奈良の大仏建立にも尽力した行基菩薩は,堺市の出身と言われていますが,伊丹市にも深い縁があり,指導して築造したと伝えられる大きな池や,建立寺院があり,「行基町」という町名もあります。この歌が気になるのは,私が,民事事件と共に,家事事件を担当しているからです。
 今の日本の離婚制度は,離婚する際に親権をどちらかに決めなくてはなりません。そのため,親権をめぐって時に熾烈な争いになり,人事訴訟で親権を取得できなかった側の不満にはとても大きなものがあります。当ネットワークにも,そんな不満の声が時折寄せられます。しかし,両親が離婚するといっても,子供にとっては,両親が両親であることには変わりはありません。不幸にして,両親が離婚するとしても,子供にとっては,いつまでもつながりが続くほうがよいでしょうし,それを望む子もあります。行基菩薩の歌は,亡き父母を偲んだ歌だそうですが,子供にとっては,いつまでも両親が思い出される育ち方をしたほうが,幸せではないでしょうか。もちろん,虐待があったり,親が再婚した場合など等,難しい事例が少なくないのも事実なのですが,それでも,片方の実親しか思い出せない育ち方をしたほうがいいのかどうか,慎重な検討が必要です。
 こうした意味で,現行制度でも,離婚後の面接交渉(面会交流)は特に重要なのですが,それだけで満足できない両親が増えているように思われます。少子化の時代ですから,それも当然で,子供に対する両親の執着は大きく,これは子供にとっては,むしろ好ましいことのように私には思われます。しかし,現行制度は,法的に一方だけしか親権をもつことができないのですから,紛争をかえって大きくしてしまう場合もあります。欧米では,共同親権の制度が認められています。家族制度は,社会の基本であり,できるだけ安定しているのが望ましいのですが,さりとて,全く不動というわけにはいかず,家族像や男女の役割,それに親権制度も変化している時代ですから(2/3欄参照),欧米の制度も参考にしながら,単独親権制度しかありえないのかどうか,考えてみる時期に来ているのではないかと思います。結論はどうあれ・・・。最近,そんなことをよく考えるものですから,行基菩薩の歌が何となく気になって仕方がないのです。

 ところで,私は,調停で離婚が成立する際,調停条項を読み上げた後,当事者の方に「ご夫婦は,離婚という形で元の他人の戻るのですが,子供さんにとっては,父母であることには変わりはないのです。今後,子供さんのために,協力しなければならない場面が必ずあるはずですから,その際には,相手に対する感情は抑えて,子供さんのために協力すべきところはして下さい。」と伝えています。できれば,行基菩薩の歌を短冊に書いて渡したいと思ったりしますが,毛筆が苦手なのでこれができないのがとても残念です。
(平成22年4月)